私の履歴書18(49)

文章を書くのが好きだな。と、思ったのは、小学校2年生くらいの時だった。学校の授業で作文をする時間があったが、他の生徒たちが全然筆が進まないをよそ目に、原稿用紙1枚、2枚とすらすらと書き進めていったのを覚えている。

2枚は最低書くように。と、先生が言っているのを聞きながら、こんなの4枚でも5枚でも書こうと思えば書けるのに。と、心の中では思っていた。

内容が、面白かったか。と、いうとそうではないと思う。

内容に、独自性があったか。と、いうと、そうでもないと思う。

特に作文などのコンテストで、賞をもらったわけでもないし、ただ、原稿用紙を埋めているに過ぎないのだけれど、今思えば、小さいころから文章を書くのは好きだったんだな。と、思う。

それが改めてはっきりとしたのは、中学校の卒業文集だった。大方の学校のイベントも終わり、学校は自然と高校受験と卒業という一大イベントに向かっており、誰もが義務教育の時間の終わりを感じている時期であった。

うちの中学校が、また自由な校風だったからか?卒業文集が、特に制限が無い。と、いうふざけた制度だったのを思い出す。

普通は、テーマだったり、枚数だったりを決めるべきとも思うのだが、改めて思えば、中学校時代に感じたことは、人ぞれぞれであり、表現の自由の観点から、長さや内容で判断すべきではないのかもしれない。と、思う。

20代になってから、30代になってから。と、何度かその文集は読み返しているが、我ながらなかなか面白い出来だなー。と、思う。今のスタイルと基本は共通で、真面目な文章を書きながらも、ところどころ、非常に内輪的なボケを挟んでおり、確かにその当時、その場所にいた人しかわからない「鍵」のような内容を入れているのは、変わらないな。と、思う。

知らない人が読めば何気ない文章でも、時間が経っても、「その人たち」が読めば思い出せる記憶。

音楽がその時代の思い出のしおりになる。と、いう言葉があるけれど、文章だって、その時の思い出をよみがえらせてくれるんだな。って、思う。

当時は、ちょうど世の中に「パソコン」と、いうものが流行り始めた時期。卒業文集も、もちろん今と同じくキーボードをたたいて書いた初めての作品だ。

世の中はまだ、PHSが出来始めたくらいで、ポケベルで数字のやりとりをするので精いっぱいだった。

ウィンドウズがようやく流行りだし、マイクロソフトが世界の覇権を握ってはいたけれど、ブラインドタッチもできない幼い私たちは、卒業文集を書くのにも、たしか5時間6時間はかかっていたはずだ。

今の子供たちがスマホと一緒に育っていった初めての世代なら、私たちはパソコンとインターネットとともに成長していった初めての世代である。

中学校3年間の生活を、確かに卒業文集という形に残したローズは、いよいよ義務教育を終え、自立した高校生活を迎えることになる。