私の履歴書19(50)

人生で初めて立つ分岐点。自分の力で他人と競い、限られた席を奪い合う高校受験。結論から言うと、私は本命の県立高校には合格できなかった。

中1・中2は勉強のほうはわりと順調であったが、中3になるとさすがにそう簡単には行かなかった。

理由は簡単だ。単純に自分が勉強をしていなかったからだ。学校のテストレベルであればそれなりに対応はできたものの、実際の入試レベルになると、どうしても最後に5点から10点くらい足りなかった。

中学3年生にもなれば、そんなにバカではないので、模試の結果などを見ればきちんとこのままだとどうなるのか?と、いうことは理解できる。

私が受験した土浦第一高等学校は、だいたい偏差値で言えば67前後だが、私の模試の成績は、おおよそ65~67でふらついていた。

模試の判定的に言えば、「C」判定。おおよそ50%前後の確率で受かりますよ。と、いうのが表面上の意味合いだ。

このままじゃ落ちるよなー。

秋ぐらいの模試の結果を見て、自分ではそう判断していた。

でも、まだ本気で勉強していないし。

一度も合格点に達してないわけじゃなくて、調子が良いときには、届いているし。

全然足りないわけじゃないから大丈夫。

こういう考えをしている点では、本当は自分の状況をよくわかっていなかったのかもしれない。言葉は結局信用できない。人間は行動でのみ評価されるというのは本当だろう。

年が明けたくらいの時期だろうか?学校から自宅に直接電話が来た。

幸い?親が不在であったので、自分で電話で出たところ、「私立の推薦があるんだが、そっちで受験をしたらどうだろうか?」

私は即答で断りの返事をした。

ひとつは、自分が行きたかった高校以外に行くことはありえない。と、思った。ひとつは、推薦のうち、入学金のみが無料になる2種と入学金及び授業料が無料になる1種のうち、2種の方での推薦に、ひどく腹が立ったからだ。

電話の向こう側では、先生たちが、これは良い話だ。ローズも喜ぶだろう。と、いう感じのムードがありありと伝わってきたのも余計に腹が立ってきた。

結論から言うと、結局勧められた私立の高校に、一般の合格で入学をした。

今、思えばもっと大人の話を聞いておけばよかったな。と、思うとともに、本気で勧めるならもっと粘れよ。と、他人と大人のせいにする気持ちもかすかにある。

1月の下旬くらいに私立の高校、地元では定番の土浦日大高校常総学院の2校を受けた。

結果は、ある意味予想通りのどちらも一般合格。土浦第一高校に入学する生徒は、最低でも入学金無料の2種特待。安定的に合格するのであれば、1種合格がひとつの目安だった。

その時期になると、周りの友人の合格結果もはっきりとわかってくるので、ますます自分の現状を把握できるようになっていた。

しかし、ローズはその段階になっても、

私立の試験は、英数国の3科目しかないからだ。自分の得意な理科と社会が無いから、本番ではきっと大丈夫。などと、思っていた。救えない。

結局その後も、塾では勉強をしたが、塾の休みの日は、せいぜい1時間に満ちない程度の勉強しかしていなかった。

合格発表の日は、仲の良い友達数人で結果を見に行った。不合格だったのは、ローズと、もうひとりだけだった。

みんなの前では、平静を装っていたが、自宅の途中に母方の祖母の家により、号泣した記憶がある。

あまり人前でそういうことをした記憶はない。今まで大して失敗をしたことがないローズの初めての挫折だった。

そんな姿を見た祖父は、近くのそば屋から天ぷらそばと、カツ丼を出前で注文をしてくれた。

ローズ、15歳の初めてのやけ食いだった。