私の履歴書26(57)

1980年代生まれにとって、21世紀は、希望の時代だったのか、現実の時代だったのか?

私が10歳より前の時には、ワクワク感があったけれど、10歳を過ぎたころ、ちょうどバブルが崩壊してからは、未来なんてそんなものか。と、思い始めた時期でもあった。

今ではすっかり話を聞かなくなったが、ノストラダムスの大予言なんて迷信もあって、どうせ世界が滅びるなら、真面目に生きてもしょうがない。思う存分遊び倒してやろう。とは、思わなかったから、受験勉強を一生懸命やったのだろう。

あの頃の未来は、そこまで明るくなかったものの、今ほど真っ暗でもなかった。

形だけでも志望校を絞り、1999年12月を迎えると、いよいよセンター試験が目の前に迫る時期だった。

この時期は、例にもれず、おおよそがセンター試験の勉強に明け暮れるのだが、、ローズは、高校生になってもやっぱり勉強に集中しきることができなかった。

河合塾の受験生のデータを見ると、難関大学に合格した生徒の平均は、一日12時間以上は勉強しているらしい。仕事は一日に8時間しかしちゃいけないのに、ブラック企業もそりゃ生まれるわ。と、思う。

ローズは、勉強しようという気持ちは12時間くらいはあったが、実際に勉強していたのは、多くて8時間程度。集中力が無いと6時間ちょっとしかできない体質だった。

しかも、勉強の仕方が最悪で、だいたい集中できるのは15分が限界だった。センター試験の過去問をだいたい1問から2問解いて、疲れたら、ドラえもんクレヨンしんちゃんを1本見る。そう。30分のアニメ番組は、1本15分程度なので、15分やって、15分休む。と、いうサイクルが確立できるのだ。

昨今の学生は、スマホがあるから勉強しない。なんて言われるが、別にスマホがあるから勉強しないわけじゃないのだ。人間は、なければ無いで、どんな環境も自由に作り出す。できない言い訳を探しても仕方が無いので、できるための方策とそもそもの「欲求」を考えたほうがよほど健全だ。

子供じみてはいるけれど、ローズは、「勉強した分だけ遊んでいいルール」でセンター試験前を勉強していた。

そんな調子だから、センター試験では当然失敗をした。目標の大学からすると、85%の成績が必要なのだが、おそらく本番は、72%くらいの成績しかなかった。

得意だった国語の試験で60%くらいしか取れなかったことを覚えている。その年は、電波少年でちょうど坂本ちゃんが東大を目指している時期でもあって、同じくらいの点数でショックを受けた。

そもそも、今までの過去問でも模試でも、センター試験形式で85%など一度も取ったことが無い。平均すると75%前後で、良くても80%を少し超えたくらいだ。

にも関わらず、失敗する人間の本質で、「当日はきっと実力を発揮できる」と思い込むのだ。あの時の数学と、あの時の英語と、あの時の国語が重なれば大丈夫。

あの時失敗した数学とあの時失敗した英語とあの時失敗した国語が重なることは考えない。

10回受けたら1回受かるパターンしか考えないのだ。10回受けたら10回受かる方法を考えないのは、「本当に」行きたいと願ってなかった証拠なのだろう。

そんな調子だから、当たり前だけど本命の

東京工業大学には落ちた。それどころか私立は、早稲田も慶応も落ちた。滑り止めの法政には受かっていたけれど、国立を目指す理系にとっては、正直、早稲田でも慶応でも私立には行きたくなかった。(学費の面を除いて)

あれ?これやばいかもなー。と、思ったのは、東工大の試験を終えてからだった。

落ちてはいるものの、一応、試験を受けた後に、自分がどのくらいできたかどうかは判別するくらいの実力はある。英語も化学も物理も、なんとか乗り越えることはできたが、苦手な数学が一問もわかる問題が無く、目の前の人が鼻血を出して医務室に運ばれているのを見ながら、そりゃ鼻血もでるよなー。どうしよう。と、150分の間、考えていた。

自分が本気を出し始めたと思ったのは、2月の終わりくらいからだった。センター試験は、だいたい1月15日なのに遅すぎる。

受験勉強というのは、孤独で長い。だから、国立試験の2次試験まで続けている人は、実は案外少ないのだ。寒さも和らいでくる3月に近づくと、人の気持ちも同じく緩んでくる。特に、推薦で合格が決まってる人や、私立しか受験しない生徒は、2月の中旬くらいからは、結構遊び始めたりバイトをしたりしている。「みんながやってないのに自分だけ」と、いう環境には、人間は弱いものなのだ。

ただ、ここで踏ん張ることができたのは、「どうしても東京に行きたい」と、いう強い動機がローズにあったからだろう。

ローズは、国立の後期試験で、人生を変える経験を得ることになる。