私の履歴書39(70)

2002年の冬。東京に出て以来、ローズは初めて自宅に帰った。実家を出て一人暮らしをしたことがある人にはわかると思うが、若いころは、一度都会に出てしまうと、なかなか実家には帰ろうと思わないものだ。

別に離島から船で出てきたわけではない。帰ろうと思えばいつでも帰れる距離だ。

電車に乗って2時間ちょっと。いつでも帰れると。軽く考えていたのがそもそもの間違いだった。と、いうバンプの歌があるが、近すぎるがゆえに、また時間がある時でいいや。と、目の前のことを優先して、いつしか時は流れていってしまっていた。

地方から東京に出た人にとっては、誰しもが、「東京に出て本当に良かったか?」と、思うことがあるのではないだろうか?

大学進学を決める際に、よく親から言われていたのは、「地元に残るんだったら、入学祝に車を買ってやるぞ」と、いう言葉をさかんに言われた。

確かに、地方の田舎は、車が無いとそもそもどこにもいけないし何もできない。金銭面で考えても、ひと月4万円仕送りするとして、4×12×4=96万円を4年間で支払うのであれば、車も安いものであれば十分に買える。そして「モノ」としての資産価値も残る。

幸い、地元には筑波大学というわりと評価の高い大学があった。つくばは、研究学園都市の名前通り、近所には研究機関が連なり、田舎の土地を広大に使用したキャンパスは、勉強するには最適な大学だった。

一応私は長男であるし、父親も一戸建ての家を購入してしまっていたので、いつかはここに戻らなくてはいけないんだろうな。と、いう気持ちもそれなりに持っていた。

地元に残れば、わざわざ苦労して料理をしたり、掃除をしたり、洗濯をしなくていいし、お金という面では、きっと東京よりも何倍も自分のために使うことができるはずだ。

わざわざ不健康な食材を買って調理をしておなかを壊すこともないし、ラーメンばかり食べて血液をドロドロにすることもない。

知らない人ばかりの中で、新しい人間付き合いに苦労することもなければ、地元の友人たちとの絆やつながりをさらに深めることもできる。

どうしても東京に行ってみたいのならば、夏休みでも春休みでも、電車に乗れば、1時間半もあれば都内のだいたいの場所に行くことができただろう。

あこがれていた東京の姿もだいぶ自分なりにつかめてきて、少しそんなことを考え始めた時期でもあった。

久々の実家は天国だった。まず、家にお風呂があるのが素晴らしい。片づけが苦手な母親だが、それでも自分の住んでいるアパートよりは断然綺麗だ。何より違いを感じたのは、布団の心地良さだ。

一人暮らしを始めて以来、布団のシーツは洗わないし、干しもしなかったので、自宅の布団は、いつもぺったんこだった。布団は干すことで、こんなにふかふかになるのかと感心したものだった。

恐れていた父親との面談は、思ったより穏やかに決着を迎えた。大学を続けるかどうかは、この春までに決着をつけること。もしも自分の望む結果が出なかった場合は、きちんと大学に戻ること。を、伝えると、それなりに怒ってはいたが、壮絶な言い争いなどになるなどのことはなく、男子特有の感情を抜いた、論理的な話し合いで帰着した。

ひとまず、一番の目的であった父親との話し合いを終えたローズは、もう一つの目的であった、成人式へと参加をした。

特別成人式に参加することに興味はなかったが、その頃はなんとなく地元のことや、あのころの自分を思い出してみたかったんだろうと思う。

成人式では、特に仲の良かった友人に会うこともなく、その後の飲み会などに参加することもなく終わった。

当然といえば当然かもしれない。つい最近まで携帯を持っていなかった私は、中学時代の友人とは一度も連絡を取っていなかったし、仲が良かった高校時代の友人は、みな私とは違う市内の人間だった。

顔は覚えているけれども、名前が思い出せない中学校時代の友人たち。きっと今でも仲良くしているのだろう。全員が知らないというわけでもなく、何人か仲の良い友人は見かけたが、私はわずか5年間という短いながらも、確かにあいてしまった空白の期間から声をかけることができなかった。

なんとなくだが、この人たちは、自分は違う価値観なんだな。と、感じ取ってしまったからだ。

最近、「マイルドヤンキー」という言葉が注目を集めている。どういう言葉かをざっくりというと、「地元指向が強く内向的、上昇志向が低いなどの特徴がある。」人物のことらしい。

端的に言えば、地方の狭いつながりの中だけで生きてきて、小学校、中学校時代の友達と、いつまでも永遠に続く平和な日常を夢見ている。変化を嫌い、仲間内には優しく、外から来るものを拒む。見た目は若く見えるが、やっていることは昔からよく地方で言われるような「村八分」の精神で、ワンピースやエグザイル、AKB48など、「集団」や「絆」を愛する人々だ。

別にこの生き方が悪いという風には思っていない。自分が目指す理想を実現するために、その行動が最適であれば、その生き方はその人にとって正解なのだろうと思う。

ただ、冒頭の問いに再度答えをつけてみるのであれば、「地元には自分の居場所はなかった」の、一言に尽きるだろう。

人間は、日々価値観を変えながら生きていく。あのころ楽しかった場所も、今は自分にとっては必要ない場所となってしまったのだ。テレビで成人式で暴れる新成人の姿をうらやましく思いながら、新成人のローズは、静かに東京へと帰っていった。