私の履歴書43(74)

2003年の春。ローズは大学に戻ってきた。うちの大学は単位による進級の制限が無いので、形式上は3年生だったが、2年時は必修の単位どころかすべての科目をひとつも取得していないので、実際は2年生と同じだった。

そこでもう一度頑張って2年生をやり直す。と、いう手段もあったが、正直化学をもう一度やろう。と、いう気持ちにはなれなかった。確かに大学時代に一番成績が良かったのは化学だが、別に大学で専門分野として研究をしたり、生涯の仕事にしたいと思えるほど化学が楽しいとは思ってもいなかった。

そこで、ローズは、転部という究極の手法を使用することにした。転部とは、自分が所属している大学は変えずに、その大学内の別の学部に移るというなかなかの荒業だ。転部が認められるのは、通常自分の学部より偏差値が低い学部に限られるのだが、幸い、ローズの学部は工学部では一番高い学部なので、どこでも選べるはずだった。

だった。だった。そう、選べるはずだった。のだが、私が入りたかった情報コミュニケーション工学科については、枠がいっぱいなので、転部を受け入れることはできません。と、あっさりと断られてしまった。

・・・詰んだ。ローズの大学3年生生活は、早くも春に終わりを告げた。

通常、理系の国立の大学であれば、普通1割から2割くらいは、退学するのに、うちの情コミは、もっともゆるい学部なので退学者が一人もいなかったのだ。(だから入りたいんだけど)

しかし、ローズはこの1年間で学んだことをすぐに現実世界で発揮した。内部からの枠が無いなら、外部から受けたらいいじゃない!

と、いうことで大学3年生から入学をする「編入試験」を受けることを決意した。

編入試験は、通常の高校とは少し違った制度の5年生の高校である、高専の卒業生や、一度大学を卒業したが、別の学科をより深く学びたい学生のための試験方法で、採用予定人数も1名と数が少なく、かなりマニアックな私見だった。

3年生の時には、すでに化学科に関する単位をすべて捨て、来年転部する予定の学科の授業を選択できる限り、すべて選択をした。

その甲斐あってか、編入試験は見事合格をした。3人受験しての1名合格なので、なかなかの高倍率である。ローズ、すごい。やれば、できる!

しかし、これは当然といえば当然の結果であった。なぜなら、問題を作る教授の授業を直に受けて試験対策をしているのである。しかも、編入試験などは、正直作成する教授の好みや専門範囲がもろに反映される。問題を見た瞬間、「あ、これこの前の授業でやったわ」と、合格を確信したくらいである。

入学をしてからのちに教授に言われたのだが、実際私の入学を認めるかどうかは、結構もめたそうである。公的機関お得意の「前例がない」と、言うやつだ。

しかし、幸いながら私が目指した学科は、当時は大学でも先進的な分野を目指してやっていたし、なかなか面白い教授がそろっていたので、「初めての前例」を私に期待して認めてくれたようだ。

こうして晴れてローズは、大学を中退し、再び自分の大学に「外部から」入学する。という、荒業を達成することになる。

もちろん大学は中退しているので、自分の

大学に2度も30万円近い入学金を支払うことになった。

自分自身はもちろん、親にも、本当は外部から入学したかった人にも、入学を受け入れてくれた人にも、迷惑をかけっぱなしだな。と、思いながらも、ゴーイングマイウェイを続けていくローズの20代の人生の始まりだった。

>あおい姫

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