私の履歴書50(81)

春は日本において希望の季節だ。今までの寒い寒い冬の景色から一転、さくらのピンクが当たり一面を華やかに覆い尽くす。

小学校や中学校の入学式、新入社員の入社式。ガラッと変わる環境は、それぞれの胸に明るい未来を期待させる何かを抱かせていた。ローズは毎年この時期になると少し嫌だな。と、感じてしまうコンプレックスを持っていた。

街を歩いていて見かけるフレッシュなスーツに身を包んだ若者たち。就職活動のためにリクルーターだろうか。それとも、新たに入社して、集団で研修を受けている新卒だろうか。いずれにしても、どちらも自分には経験のないものだった。

新卒で入社はできなくとも、いくつかの会社に在籍はしていた。しかし、中途の入社については、いわゆる「同期」という存在は、やはり少なく、学校の延長のように同じ立場で初めての仕事に望む仲間のような存在が、今でも少しうらやましいな。と、思う時がある。

と、同時に大学の卒業式に満面の笑みでみんなで参加している姿を見て、違和感も覚えていた。大学で学ぶことって、そんなことなんだろうか?後日もらった卒業証書をその場で破り捨てて研究室のごみと一緒に出した私の感覚からすると、やはり新卒一括就職をしなかったことは正しかったかもしれない。

まだ大して仕事もできないのに、同期という目に見えない何かに支えられて社会人気分を味わう新卒に比べて、ローズは人生で最も暗い春を送っていた。

地元に帰ったローズだが、もちろん実家には帰らなかった。せっかく苦労をして入学した大学も、就職をしなければ意味がない。別に実家に帰れないわけではなかったが、ローズのプライドからして、親と一緒に暮らせるわけはなかった。

とはいえ、住むところに困窮したローズは、実家のすぐ近くにある、祖母の別宅に目を付けた。古くから存在する家屋は、築100年近く、長らく誰も住んでいない本当にボロボロの長屋みたいな建物だった。

「ドア」という存在はなく、入り口、出口とも引き戸のような作りである。カギをかける穴はあったが、実際には家屋にカギをかけることは不可能な存在だった。

お風呂もついてはいたが、とても入れるような環境ではなかった。汚い環境で暮らすことに慣れていたローズではあったが、さすがにこれは入れない。と、思うレベルの「ぬめり感」を持った木製のお風呂で、そもそもガスでお湯を沸かせたかもわからない。

トイレについては、汲み取り式であった。汲み取り式。と、言って今の若い世代に通じるのだろうか?いわゆる水洗式ではない、ボットン便所と呼ばれる存在である。春先は、特に問題はないが、夏になると大量にハエが発生して困惑をした。

そして何より困惑をしたのは、ハエの存在よりも、ネズミの存在だった。一人暮らしをしていて、ゴキブリが出て怖い。なんて話があるが、ネズミの方がガチで怖い。夜になると、天井や床下でごそごそとする物音。カサカサではない。ごそごそという圧倒的な物体感。

一度、弟がどんな暮らしをしているのか見学に来たが、もう二度とこんなところに来ない。と、吐き捨てて帰っていったのもよくわかる環境だった。

本当に最悪な環境だな。と、今になっても思うし、二度としたくないが、その当時の自分にとっては、妥当な環境だな。と、思ったローズは、公務員試験を目指して、就職浪人を始めた23歳の春であった。