私の新人時代(22)

新人時代に言われたことは今でもほとんど覚えている。固有名詞を出すと私の存在がばれてしまうので詳しくは書けないが、どれもこれもが今の自分を作っている大切な「当たり前」だ。

昨今ブラック企業問題が多く叫ばれているが、当たり前の基準は若いうちに高くしておく方が、30代以降はその時鍛えた筋肉でのんびりと生きることができる。前回と繰り返しになってはしまうが、若いときの苦労は買ってでもするべきだ。(死なない程度に)

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前回のエピソードと合わせて私が入社初日で覚えている話は、研修が当たり前だと思うな。と、いう話だった。

一通り、会社の説明やシステムの説明をしてもらった後に、ややベテランの社員の人が言ったのは、「ここまでは仕事として教えるけど、あとは自分で考えてね。自分で身に着けた技術でお金を貰ってるんだから、そう簡単に仕事のコツなんて教えないよ。」と、言われたことだ。

普通だったら、厳しい。意地悪な人。と、思うかもしれないが、仕事に飢えていた?当時の私はなんだかとっても嬉しく思った。自分自身が努力をして身に着けた技術で戦っていく。と、いう感覚が新鮮だった。

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25歳で転職をしたローズだったが、30歳になるまでは、直近の上司については、すべて私と同じ年か、年下の人ばかりだった。最初の上司のYさん(女性)は、上智大学卒の2個下の2年目の社員だった。いかにベンチャーと言えど、意気込みだけでは出世できるはずがなく、立ち振る舞いから、頭のキレ、そして生徒にかける情熱までパーフェクトな存在だった。

彼女は後に最年少校長に上り詰める全社の新卒のあこがれの存在である。

彼女を一言で表すなら「太陽」だ。いつでもキラキラ、ポジティブオーラ全開で、その姿を一目見るだけで元気が出る。もしもメイド喫茶にいたとしたら、誰もに好かれる明るい積極をするメイドになっただろう。

そして、新しいこと、より難しいことにチャレンジしようというガッツがすごかった。厳しい目線で言えば、ロジカルシンキングは強いほうではなく、感情の赴くままに、難しいことを情熱で乗り切ろうとする面があったのだが、そこが彼女の弱さでもあり、同時に強さでもあった。

無茶な困難でも、先頭を切って進んでいく様は、「リーダーシップ」そのもので、足りない部分があるのなら、周りで支えてあげよう。と、思える愛嬌さも持ち合わせていた。

この人に出会えただけでも、すでに転職をしてよかったな。と、思える素敵な出会いだった。

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私が最初に配属された場所は、東日本部長の在籍する場所で、全校で一番生徒数が多い校舎だった。在籍人数で言えば当時でおそらく1200人前後。それを正社員10人前後で回していた。

仕事で最初に苦労したのは、人の顔を覚えることだった。もともと画像認知能力が低いので、正直人の顔の区別があんまりつかない。画像で頭に焼き付ける。と、いうよりは、この人の身長は○○cmくらい、髪型はポニーテール、メガネをかけていて、やや童顔。と、いう文字情報でしか、記憶にとどめられないのだ。

今ではかなりマシになったが、当時の私は、どれだけ好きなメイドさんでも、おそらく私服に着替えて街の中に溶け込んだら、一生見つけられなかっただろう。

しかし、人の慣れというのはすごいもので、長年やっているうちに、人の名前は覚えられなくても、顔はだんだんと覚えられるようになってくる。

よく、アイドルさんや、メイドさんのベテランが、一度あっただけで顔を覚えたりする技術を披露しているが、これも修練?のたまものだろう。

人を顔を覚えるのが苦手な人でも、安心して、メイドやアイドルに挑戦してほしいものである。