心に残った一言の話

「ワタシガコンナニシンケンニオコッテイルノニ
 ナンデアナタハイツモソンナニレイセイナノヨ!!」


ここ1年くらいに聞いた言葉の中で、
最も忘れられない一言ナンバーワン☆

言われてみればまさにそのとおり。
名言ですね。耳が痛い。耳が痛い。耳が痛い。

ブログの説明文のところにも「感情不感症」って書いてあるから
皆様おわかりになってるかと思うんですが、「喜怒哀楽」の感情について
いつのころからか本当にロストしてしまっているんですよねぇ。。。


飛び飛びじゃなくて全体的に通して
読んでる人は気づいてるかもしれませんが、
私にとって「楽しい」と思える瞬間って生きれば生きるほど
極端に減っていってしまってるように最近感じるんですよね。

とにかく毎日がつまらなくてつまらなくてつまらなくてしょうがない。
なんとか一生懸命楽しい瞬間を探し出そう、創り出そうっていう毎日です。


「悲しい」という感情についても同じです。
毎日同じような日々の繰り返しをしているから、
日々の生活に「真実」なんて一切生まれない。

ほんの少し空いた時間に他人が作った物語を
さも自分が感じたかのように当てはめて見る毎日。

遠い昔の過去を手繰り寄せてみたり、
他人の感情を自分に重ねてみたりして泣くのが精一杯の現実です。
泣いたフリをしてるだけ。


「怒り」の感情なんかについては、
最も縁遠くなってしまった感情です。

「怒る」だなんて感情と行動ほど面倒なことは無い。
下手に自分の感情をあらわせば当然相手に嫌われてしまうかもだし、
何より面倒なことになるのが最もイヤ!!

いつからこんな風に考え始めたのかはわかりませんが、
とにかく面倒そうな事件があったら努めて冷静に受け流すような
性格になってしまいました。

初めのうちは、それとなくこちらの意思を伝えたりするんですが、
それでも聞く耳を持たなかったり、感情的に向かってくる相手に対しては、
急に相手に対する感情がふっと途切れてしまうんですよね。
そりゃあもう、とにかく「面倒くさいな」って意識に切り替わってしまう。
じゃあ、もう好きにやれば良いよ。っていう感じで突き放しちゃいます。

これは、自分の欠点だなぁ。
と、昔から思っていつつも別に治す必要ないやぁ。
なんて自分勝手に逃げ道を作っていたのですが、
「怒る」という行為も出来ないとダメな年齢になってきちゃいましたねぇ。。。

わかってはいるんですが、やっぱり「人を怒る」という行為は、
自分の性格上からしてどうも苦手ですね。
でも、イヤだろうと何だろうと「技術」としてしっかり身につけなくちゃ。
しかし、本当に「怒る」って難しい。。。


ちなみにこれは私の持論なんですが相手を怒ってあげるほど、
その人に対する「愛情表現」ってないって思っています。
人を怒ることほどエネルギーを使うことは無いですから。

その内容が合っていようが間違っていようが、
あなたのために一瞬でも貴重なエネルギーと時間を
向けてくれたのは事実です。

だからその気持ちだけは、
言うこと聞かなくても感じてあげて欲しいなって思います。

もしもあなたを思って怒ってくれる人がいたのなら、
その人を大事にしてあげてくださいね。っていう。

そんなことにいまさら気づいた話。



なぜだろう?
悔しさも感じなくなる程に
情熱に背を向けていたのは僕のほうなの?