私の履歴書11(42)

ローズ部活やめるってよ。と、いう噂が学年に広まるには人数が多すぎる学校だったが、とりあえず中学1年生の終わりくらいまでに私は部活を辞めた。辞めた理由は、今となって後付けのように語れるが、当時はさしたる理由もなかったような気がする。 中学校では部活はバスケット部に入った。世の中はスラムダンクブームに沸いており、1学年で30人はバスケ部に入っていたと思う。3学年合わせれば90人。わずか5人がレギュラーのスポーツにしては、在籍数が多すぎたのも事実だ。 別にレギュラーになれなくても構わないと思うが、とにかく練習が嫌だった。辛い・疲れるというのももちろんあるが、その練習はあまりにも多すぎた。基本平日は暗くなるまで練習をしているし、土曜日や日曜日も試合だったり練習がある。それどころか朝の練習まで含めたら、それは昨今流行りのブラック部活そのものだった。自分の時間を持つことがまったくできない。 自分が費やした時間だけ、何かの成長や勝利を感じられるのであればそれは意味のあるものだと思うのだが、試合に勝てるわけでもなく、そもそも出られるわけでもなく、素人の先生が考えた、過去からの惰性のような練習を、毎日毎日繰り返すことに飽き飽きした。ただただひたすら時間を埋め、考えることを放棄させるような訓練をしているのではないかと今となっては思う。 何より貴重な時間を無駄にすることが自分では耐えきれなかった。辞めた時間で何をしたかといえば、なにかを特別したわけではないのだけれど、漫画にゲームと自分の好きなことに没頭できたことは良い体験だった。 最近の若い人は、将来何をしたら良いかわからない。と、いうが、それは当たり前のことだろう。日本では、与えられた時間をどう活用するのか?と、いうことをまったく教える時間が無い。組織や集団に命じられたことをただ疑問を持たずに繰り返す。と、いう訓練を高校生までさせてこられて、大学生になったらさぁ自由を楽しみなさい。と、言っても楽しめるわけがない。 若いうちの「好奇心」は貴重だ。30も過ぎればわかるが、新しいものに興味を持ったり、何かを好きになる。と、いうことが非常に面倒になってくる。それは、10代でも同じように、4~5歳の子供の持っていたエネルギーや情熱はどんどん失われてしまうのだ。本来学校は、勉強を教えると同時に、その生徒が何が好きで何に興味を持つのか?と、いう体験を可能な限りさせてあげなくてはいけない。もちろんスポーツが好きな子は部活に打ち込めばいいのだが、そうではない生徒のためにも、ゆるい部活や多種多様な経験ができる放課後のプログラムは、本腰になって取り組むべきだと思う。センター試験の形式だけ変えても、教育の本質が変わらなければ人間も社会も変わらない。 と、いった後付けをしながら、ドラゴンボールの夕方の再放送を見たかったローズは、日々だらだらとした中学2年生へと進むのであった。