私の履歴書10(41)

中1ギャップという言葉がある。定義はそれぞれあるのだが、小学校から中学校への学校生活の変化に苦労するという生徒もいるという意味合いだ。確かに中学校は平和だった小学校と違い、部活も本格化するし、授業も英語が入り、だいぶ難易度が上がってくる。最近は学力テストの順位を公開しない学校が多いみたいだが、私の学校では1学年での総合順位が個人には通知されるので、自分が社会の中でどういう立ち位置かを嫌でもはっきりさせられていた。昔からそういう風習に慣れていればいいのだが、今まではテストの点数が悪くても何も言われなかったのに、1年違うだけで急にそんなことをするのも確かにひどいなぁ。と、今となっては思う。 とはいえ、特別運動音痴でもなく、勉強が苦手なわけでもなかったので、中学校の生活の変化には特に戸惑いはなかった。ただ、ひとつだけ最初に苦労したことが、友達との付き合い方だった。 私が住んでいた家は、実は田舎の小学校と都会の小学校のちょうどはざまで、小学校は田舎側なのだが、中学校になるとなぜか都会側の方に通う決まりだった。今まで長い間仲良くしてきた友人たちとは全員別れ、一学年に300人近い生徒がいる中で、同じ小学校の生徒はわずか10人程度のアウェイ環境だった。 確かに私は人見知りではあるが、まだまだ幼い12歳前後の子供が集まれば、すぐに仲良くなるものである。ただ、一番初めは、他の小学校の生徒からは、だいぶ色眼鏡で見られ、いじめとはいかないまでも、田舎の小学校から来てるらしいよ。みたいな感じでひそひそ笑われたりもしていた。 これは大人になってからも同じであるが、人間は思ったよりも自分が体験したことを「常識」だと思っている。「あるもの」は認識できるが、「ないもの」を「あるもの」から逆算して認識することは困難だからだ。後々転職エージェントの仕事をして思うが、やはり人は、その「業界」、その「職種」、その「会社」の常識を自分の常識として、文化として、価値観として無意識に身に着けてしまっている。 私の数少ない友人は、そのほとんどが職場結婚か、大学のころからの付き合いで、ぐっと下がって、同じ趣味を共有しているというパターンが多い。画面の前の皆さんがどういう友人や異性のパートナーを持っているかはわからないが、上記の条件に当てはまらない場合は、よほどコミュニケーションがうまく、日々生じるお互いの価値観の相違を少しずつ埋めていっているんだろうと思う。結婚でも友人でも、人付き合いを長くしている人は、私はとても尊敬をしている。 ローズの唯一の後悔は、自分自身が変わりつつあるのは仕方ないとしても、その自分の変容をきちんと言葉にし、会わなかった相手の変化も認識し、長い交友関係を築いてこなかったことだ。現在、大学生より前の知人は、誰一人として連絡先を知らない。 携帯電話を持つことが当たり前になった現代とは違い、ようやく世の中にPHSというものが流行りだした時代であった。。。