私の履歴書13(44)

中学2年生といえば、当時はまだなかった言葉だが、いわゆる中2病の季節だ。もちろん私も例にもれずそれなりに中2病を患っていた。第3の眼が開眼したり暗黒のオーラをまといたいとは思っていなかったが、小手返し一手や絶対味覚を身につけたいな。とは、心ひそかに思っていた。 そして私の性質の悪いのは、妄想の世界だけに及ぼせばいい中2病が、少し現実世界の、学校や先生に向いていたところが今となっては恥ずかしい思い出だ。 いきなり話は変わるが、中学2年生は私が初めて海外に行くことになった記念すべき年だ。訪れた場所はインドネシア。関東とかの主催の赤十字の一環で、9泊10日くらいの大掛かりな旅行だったことを記憶している。 なぜそんな旅行に参加することになったかというと、応募したからだ。応募した動機は、赤十字の活動やボランティアの活動に普段から携わっていたから。な、わけがない。 ただ単純に海外行ってみたいなー。と、程度の軽い気持ちで、さしたる理念や理想もなく応募したら、何故か最後はくじ引きで決めるという運びになり、くじ運が悪い私がなぜかその時だけ選ばれてしまったという情けない話だ。 まぁ、中学生くらいのお子様がそんな崇高な理念など持つわけがないんだからそこは仕方がないとして問題なのはそのあとだ。 中2病を患っていた私は、飛行機代も研修代も飲食・宿泊費もすべてお世話になった赤十字の団体をあろうことか帰国後にひたすら批判をしていたのだ。 貧しい人を助けるために、こんなことをしても意味がない。もっとできることがあるはずだ。日本人は恥を知るべきだ。などと、学校の帰国後の全体報告会などで話していた記憶があるのだが、もう思い出しても恥ずかしい。恥を知るべきなのはローズ。お前だ。。。 当時は、素直に大人の言うことを聞くことよりも、皆が気づいていない社会の闇を批判することがかっこいいみたいなことにあこがれる時期だったのはわかるが、あまりにもお寒い中学生である。あの話を聞いたみんな、私のことどう思ってたのかな。。。 と、いう感じで一向に話が社会人にすら至らない私の履歴書。次回はいよいよインドネシア編。