私の履歴書16(47)

中学3年生は、気づけばなぜか合唱部に入っていた。最初は男子が一人で、その他は全員女子だったので、それはエライハーレムだった。その後、同学年の友人や、後輩の男子が何人か入ってきたものの1:9くらいの今、思えばJCに囲まれたうらやましい生活だった。

どこの中学校でも、年間の行事として盛り上がるものがいくつかあると思うが、うちの中学校は、陸上大会・運動会・合唱祭の3つだった。中でも、11月の深まる秋の最中に行われる合唱祭は、クラスの仲の良さも深まってくる時期なので盛り上がりも格別だった。

先に言っておくが、ローズは、この合唱祭で3年連続優勝をしている。1学年9クラスあるなかで3回優勝するのは、1/1000に近い確率なのでなかなか珍しい体験だと思う。そして、それは他の人とのめぐりあわせもあるが、ローズのおかげであることは疑いようがない。

大人になって思うが、人が人に与える影響というのは、なかなか大きな力を持っているな。と、思う。

コンカフェでもアイドルのオタク層でも、人が人を集める能力はかなり大きい。コアとなる人がその他の人の行動に影響を与えることもあるし、逆に退化をさせられてしまうこともある。

優秀な会社は、やっぱり文化や風土として、集団が個人に与える影響が大きしい、成績を残している部署や支店はコアとなる人の勢いや熱意が周囲に伝わっている。

個人、個人の能力というのは確かにあるが、組織として生きている人間の中では、周りへの「巻き込み力」というのは、確かに存在するし、貴重な能力である。

確かにローズは、授業の自習時間にトランプで大貧民をしていて、担任の先生から殴られてメガネを吹っ飛ばされているし、教室の時計を7分くらい進めるという、地味な仕掛けで授業を早く終わらせたりはしていたが、やるべきことは、結構まっとうにやるタイプであった。

ローズは中途半端が嫌いだったし、今も嫌いだ。ちょうど中学3年生くらいになってくると、頑張ることがかっこ悪い。みたいな、感じで悪ぶってみたり、手を抜いてみたりする人が出てくるが、最高にくだらない。貴重なプライベートの時間を削ってまで練習をしているんだから、死ぬ気でやれ。終わったら、俺はさっさと帰る。と、いう謎のスタンスだったが、練習は真面目にしたので、だいたいどのクラスでも好成績を残せた。

こういう文化的なイベントは女子が頑張るが、男子は頑張らないので、男子を頑張らせれば勝ちなのだ。

しかし、今思い返せば、学校でのだらだらした時間。と、言うのが心底嫌いだった。イベントでの練習でも、学校の授業が終わった後でも、部活の前後でも、「なんとなく」みんな一緒にいる謎の時間。が、理解できなかった。特定の誰かや何かを待っているわけでもなく、特に理由もなく、時間をつぶすような?時間が共感できなかった。

最初は、なんとなく周りの空気に合わせよう。と、思った時期もあったが、すぐに目的を持った時間の共有が終わったら、姿を消す術を身につけた。これは、社会人になっても変わらず、周りに合わせる。と、いう能力を若いうちに身に着けなかったことは、幸いだったと思っている。

ちなみに冒頭で話に出た合唱部の話だが、3年から急に始めたので、NHKコンクール的なものにも参加したが、もちろん結果を残すわけでもなく、あっさりと敗退した。

今思えば、このころから、男子と過ごす時間よりは、女子と過ごすことの方が多い運命だったなー。と、しみじみ思う。

今、思い付きで秋の話をしたが、修学旅行の話をしてなかったので、次回は、修学旅行の話に戻っちゃう。待て。次回。寒い。