私の履歴書29(60)

21世紀は、まさにデフレの時代だった。2000年から2010年までの時代は、バブルのような派手さはなかったものの、働いていない学生にとっては、生活しやすい環境だった。

今となっては当たり前となった、100円ショップが流行し始めていたし、ユニクロの登場は、工学部の理系男子にとっては画期的だった。食事の面でも牛丼280円時代の到来していたし、今の苦戦からは想像できない、原田戦略で栄華を迎えるマクドナルドは、ハンバーガー65円の時代なんてものもあった。

お金の無い大学生にとって、それは大変ありがたかったので、ハンバーガーや牛丼をよく・・・食べなかった。

牛丼はまだ、食べられなくはなかったが、心の底から美味しいとは思えなかった。ハンバーガーについては、しょうゆをかけたりマヨネーズをかけたり色々工夫をしてみたものの、結局美味しい食べ方を発見できなかった。外食するお金もないし、ご飯を作るのも面倒なので、ほとんどご飯を食べなかったら、受験後、人生で一番太っていた時期から、一人暮らしを始めてわずかひと月で20kgほど痩せてしまった。

・・・若いってうらやましい。

そんなアップダウンの激しすぎるプライベートな生活だが、同時にパブリックな学生生活もスタートしていた。

先に言っておくが、もちのろんで、私は充実した学生生活を送ることは、できなかった。これは、ここまで奇特にも私の生い立ちを読んでしまった人なら、簡単に導き出せる必然の結論だろう。

高校時代までは、誰かが強制的に決めた「クラス」という箱があったが、大学ではそういった類の「強制力」はない。

自分でどの授業を出るか決め、どのサークルに所属するか選択し、そこで自ら関係性を構築しなければならない。そう。待ってるだけでは始まらないのだ。コミュ障にとって、なんとハードルの高い場所だろうか。大学。

まず、私の所属していた工学部応用分子化学科の授業についてだが、こちらでは、一人も友達ができることはなかった。工学部の中では、当時一番偏差値の高い学部で、浪人生の比率が50%を超えるくらいの学科だった。のちに大学受験の浪人生を指導する予備校で勤務をすることになるが、この年代の1年の差はやはり大きい。しかも、浪人して1年勉強に専念し、合格するというのは、精神的にめちゃくちゃタフである。たいして勉強もせずに、なんとなく合格しちゃったローズとは、周りの雰囲気はかなり違い過ぎた。

国立の理系なので、授業はだいぶハードだった。ここは強調をしておくが、【【【授業はだいぶハードだった。】】】レポートで単位が取れる授業なんて、ほとんどなかったし、テストは授業にもよるが、中間試験・期末試験と2回あった。微積分の授業は、必修科目なのに、普通に平均点が50点くらいで半分くらい単位落としてるし、実験は、運が悪ければ昼の13時から始まって、夜の22時までかかるなどもざらにあった。

私立の文系などの話を聞くと、クリスマスが終われば、もう学校行かなくていいとか言ってるし、一回も授業に出なくても、教授と飲みに行けば単位がもらえるとか言ってるし、この人たちは、何を言ってるんだろう?と、思っていた。

入るのは難しく、出るのは簡単。と、言われている日本の大学だが、そりゃこういうことをしていれば、次第に経済が傾くのも当然だろうな。と、思う。

ただ、日本の仕事の実情に合ってないかというと、間違ってはいないな。とも、思える。例えば、大学での試験は、難しい内容を勉強して正攻法から突破することもできるが、「過去問」というそれさえ知っていれば、実は簡単に点数が取れてしまう魔法の紙切れを先輩や他の人脈から手に入れて得点を取る。と、いう方法も実在する。

現在は、ラインなり、SNSでPDF化してアップするなどの方法もあるのかもしれないが、まだまだアナログ全盛だった私たちの時代では、友人と直接関係を構築し、そのような実物を手に入れるというのは、一苦労する時代であった。

会議の前に根回しし、前回通ったプロジェクト案や顧客の情報を共有するという能力は、確かに社会人でも必要な能力だろう。

どちらが正しいかは、時代によって変わってくると思うが、どちらもできたほうがよりベターだとは思われる。いわゆるテストで測れない「非認知能力」を鍛えるのが、大学の4年間のモラトリアムで学ぶべきことだと思うのだが、ローズは、そんなコミュ力を鍛えることなく、大学という荒波におぼれかけていた・・・。