私の履歴書33(64)

大学1年生の時期は、とにもかくにもパワフルだった。私の人生の中で最もアクティブな1年だったのではないだろうか?

朝は、5:30に起きて、6:00からバイト。昼は、(形だけでも)授業にすべて出て、成績はともかくフル単位を取得。夕方以降は、サークルに顔を出すか、バイトをするかで埋まり、帰宅するのは、だいたい深夜12時前後がほとんどだった。

そこから、ローズが自分ですごいな。と、思うのが、自分で日記をつけ始めることだった。大学受験からの習慣と、特に誰も話し相手が無かったことから、コツコツと日記を毎日つづり続けていた。

しかし、3か月もすると、その頻度は徐々に下がり、その舞台先は、ネット上に移りつつあった。ブログなんてオシャレなものではない。当時は、「掲示板」というHPに付随する、来訪者の足跡のようなスペースだった。

ロリコンで名高いローズ氏は、当然ながら、お気に入りの子役さんが何人かいた。インターネットで、その番組や、子役さんについて調べているうちに、いわゆるファンページにたどり着いた。

最初は、こっそりと眺めているだけで満足していたのだが、そのうちひょんなことから、ついつい書き込みをしてしまった。それが間違いの始まりだった。

そこの人たちは、とにかく「良い人」が多かった。同じ趣味を共有していたからこその価値観の近さもあったかもしれないし、当時の「ネット文化」のマナーの良さも原因だったかもしれない。

最初は、これからも隠れてみていますね。と、「隠れファン」として書き込みをしていたローズも、あまりにみんなが優しいレスや反応をくれるので、途中からは、これからは、×××でガンガン書き込む「×××」になりますね。などと、名前を変え、そしてその名前のとおりめちゃくちゃ×××で暴れまくっていた。(※正式名称は、検索したら出てきちゃう黒歴史なので内緒。)

幣ブログをご愛読の皆さんなら予想がつくと思うのですが、当時の私の熱量たるや、今の比ではないですよ?今までのブログの5倍の熱量と10倍のひらめきを「人の」掲示板にぶつけていたという、黒歴史を持っているのが、何を隠そうローズの源典だったのでした。

深夜12時過ぎから毎日、毎日1時間近くも2000文字以上の内容を「人の」掲示板に投稿し、自分に絡んでくる人には10倍返しのコメントを、自分に絡んでこない人にも絡むさまは、まさに悪質な「荒らし」と呼ばずになんと呼ぶのであろうか?

そんな私でも「ひょうちゃん」と可愛がられ、たくさん愛してくれた感謝の気持ちは、今となっても変わらない。ネットにおいては、誰でも、どんな人でも、リアルでは気に入らなくても、受け入れる。と、いう姿勢が、その当時に教わった人生の大切なことだった。。

最近ツイッターから引退気味のローズであるが、理由のひとつは、交錯・共有する場所としての、一般化。と、いうことが一番の大きな要因である。

当時は、インターネットにアクセスするためには、携帯電話から気軽に。などとは、不可能で、わざわざプロバイダ契約をして、さらに自分が興味を持っている場所を探し出してきて、アクセスをしなければたどり着けなかった。

当然ながら、そういう場所にいる人たちは、「なみなみならぬ情熱」を持っている人たちで構成されている。コア中のコアのファンだ。

通常の軽い気持ちで足を踏み入れるには、高すぎる居場所だが、もしもそこで自分と同じ価値観の人を見つけ出すことができればそこは何物にも変えがたいパラダイスとなる。

今のインターネットからは、信じられないほど、濃密な空間は、今となっては、幻や、美化され過ぎた思い出なのかもしれないと思う時がある。

黎明期のメイド喫茶もおそらく同じような形なのだろう。最初は限りなく気の合う人たちで構成された集合体が、次第にメディアに、大衆に消費され、一般化された場所となってしまったのかもしれない。

大きいことは良いことだ。と、いう思想が流行った時期ではあるし、当時の私も確かにそう思っていた。しかし10年経った今、振り返ってみると、新規参入、ファンの多さを求めることは、正しいとは断言できない自分がいることに気づく。

あの時の私に、その場所を大切にしろよ。と、伝えたいのに伝えることができない体験というのは、大人になった証拠なのだろうか?