私の履歴書32(63)

今までバイトをしていなかったのでお金がなかったローズも、アルバイトをしてだいぶお金に余裕が出るようになった。最初は、週に2回ほどで入る約束をしていたが、最終的には、夏休みなどは、月25日も入っていたので、18歳の田舎者が持つには、大きすぎるバイト代を手に入れることができた。

しかも秋からは時給2000円の家庭教師のバイトもしていたため、一番稼いでた時は、月に15~6万手取りであったのではないだろうか?今思えば、金持ち過ぎる。

そのアルバイト代を何に使っていたか?と、いえば、おもに「飲食代」だった。

当時は、BSE問題で、牛肉が普段よりも格安で食べられる時代だったので、ひとりで焼肉を食べまくったりもしていたし、西荻窪は、飲食店が非常に多い地域だったので、目につく飲食店を片っ端から制覇していった。

毎月10万円くらい外食していたのではないだろうか?エンゲル係数が高すぎる・・・。

中でもはまりだしたのは、ラーメンだった。当時はそんなにラーメンにドはまりをしていなかったので、有名店にわざわざ足を運ぶことはしなかった。しかし、自分の足で探し、舌で感じた名店を見つけることが何より楽しかった。

一番最初に衝撃を受けたのが、荻窪のめん家。

https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13006228/dtlrvwlst/

荻窪といえば、春木屋が有名で、しょうゆ味のオーソドックスな味付けが地域に根付いているのだが、めん屋も同じく鶏ガラ醤油のコクの深い、正統派ラーメンだった。

このラーメンは、ずばり「スープ」が美味しい。鶏ガラ・昆布・カツオなど様々なうまみが溶け出し、結合し、まさに黄金のスープとなっている。

ラーメンが好きという人に、濃い味・豚骨じゃないとダメ。と、いう人もいるが、正直そういう人とは、味の好みは合わないと思っている。豚骨は豚骨で魅力はあるが、私から

すると、「薄い」と、いうか「浅い」と感じてしまうのだ。

次に衝撃を受けたラーメンは、西荻窪の「翔丸」の、混ぜそばとつけ麺。

https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131907/13128890/

今となっては、当たり前となったつけ麺店の先駆けであり、当時つけ麺って何?と、いうレベルだった私に、初めて、「こういう感覚ってあるんだ」と、思わせてくれた作品である。

つけ麺とラーメンは、ひとくくりにされることが多いが、ファンの目から見れば、それぞれ別の食べ物だと思っている。本当に好きな人にとっては、メイドとアイドルをひとくくりにするのに、少し違和感を感じるところに似ているかもしれない。

もっちりとした、太麺の、コシをわしわしとほうばっていく。もちろんスープもおいしいが、つけ麺の主役は何といっても麺だ。その麺を思う存分食べて進んでいくところに、個人的には何か「若さ」や「勢い」を感じることができた。

その人が何を好んで食べているかを見れば人柄がわかる。と、いう言葉があるが、ラーメンは、まさに時代を表した先取りのチャレンジャー精神の食べ物であるし、既存の価値観にとらわれないロックな食べ物だと思っている。

安価だけど、挑戦的で。

気軽だけど、夢があって。

今はまだ何者でもない自分でも、いつか誰かになれるんじゃないか?と、いうワクワクした気分にさせてくれるのが、ラーメンという食べ物だった。

当時は、ちょうどラーメンブーム。青葉、武蔵、くじら軒と今までの概念を次々と覆すニューストリームが登場。テレビチャンピオンでは、石神が有名になり、そのブームに輪をかけて広げていった。

不景気という言葉がニュースでは踊っていたけれど、そう考えると、あの頃の東京は、まだまだ元気だったのかもしれない。

初めはいまいち受け入れられてなかったつけ麺も、2~3年後には、大行列してなかなか入れないお店になってしまった。

嬉しくもあり、悲しくもある瞬間だ。

以降、ラーメン屋めぐりは、今も私の確固たる趣味のひとつとなっている。自分の好きなものを自分の足で見つけ、自分の労働の対価をもって自分の意思で支えていく。

確かに社会の経済活動に参加していた、19歳の青春であった。