私の履歴書47(78)
1999年の後半から2004年にかけては、実は日本においては、大きなチャンスの時代だった。
いわゆるITバブルというものが崩壊しつつも、それでもmixiや2chといったコンテンツは成長し続け、街中ではソフトバンクがモデムを配りまくり、国民にもインターネットがなじみ深いものになりつつあった。
ホリエモンが野球球団や、フジテレビの買収で一躍有名になり、ヒルズ族という言葉が生まれたし、携帯電話についても「着メロ」や「iモード」というのちにガラパゴスの原因となる内向きなシステムが大流行し、不景気と言えども、若い人にとっては、未来が輝いていた時代でもあった。
多くの人はそれに気づいていなかったし、私自身も気づいていなかったことは、今となってなんとアホなのかと後悔している。
そんな世間知らずのローズだったが、コミュニケーション学科の授業は、基本的にどれも面白かった。「映像」も表現やコミュニケーションの授業の一環として含まれるので、ただ単に映画を見るだけの授業も結構あった。
ジャン=リュック・ゴダールやリュミエール兄弟、歴代ロミオとジュリエットを見比べての比較論をレポートにするだけで単位がもらえるのだから、もはや天国としか言いようがない。
何しろレポートでは、もっともらしいことを書いているが、本音を言えば、「オリヴィアハッセーかわいいなー」と、しか思ってないのだから。
映像以外に、言語論や哲学思想も本格的に学べた。ソシュールの記号論でシニフィアンとシニフィエ。ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考で語りえぬものは沈黙しなければならない。ハーバマスの公共性(圏)の構造転換。
英語が苦手な私でも、原著で読んでわかった気になったりと、かなりアカデミックな時間を過ごせた気がする。
そもそも学生12人に対して、教授が15人くらいはいたのだから、贅沢すぎる環境だ。文系よりの教授なので、外国かぶれの先生も多く、ゼミのあとには、いつも赤ワインなどを飲みながら、小泉政権は~、ホリエモンは~、これからの日本の在り方は~。などと、学生の見本のような時間を楽しんだ。
最近話題になった、「契約結婚」についても、元ネタとなるボーヴォワールとサルトルよろしく、実際にドライな関係でいる素敵な女性の教授も多かった。できる女はかっこいい!!
私の専攻は、工学部の学生のくせに、メディア社会学と、広告学をミックスしたような内容で卒論を書いていた。時代はちょうど、ラジオの広告費を抜き、これから雑誌の広告費を抜くんじゃないか?と、言われていた時代だった。
しかし、私は、ネット広告にはいつか限界が来る。と、卒論では論じていた。なぜなら、ネット広告は、たとえどれだけ良い商品だと思っても、「まわりのみんなが」持ってなかったり、知らなかったらその商品に価値を感じないとし、その効果を「集団的認知効果」と、名付けた。
ネットは、テレビにはかなわない。所詮、日本人は個人主義ではなく、全体主義なのだ。みんながやっているから私もやる。と、いう村主義からは抜け出せないのだ。と、考えたのだ。
答えは言わなくてもわかるだろう。
ローズは、将来を見る力がゼロだった。
あの頃のネット広告といえば、無差別に出す、バナー広告がせいぜいで、今の時代のように、個人の好みに合わせたリスティング広告や、レコメンド機能が備わるなんて思ってもいなかったのだ。
そして、検索機能も早く、わかりやすく、正確で、動画や音声があそこまで贅沢になるなんて予想だにしていなかった。
テクノロジーが社会を変える。と、いうことはよくある話だが、この10年で、ここまで日本人のメンタリティを変えることができたインターネット。改めて、今そのすごさを感じている。
そして、また10年後も同じことを感じるのだろう。ブロックチェーン、IOT、人工知能。世界は恐るべき速度で進歩をしているので、いつまでたっても休む暇がない。。。
あえて一度だけ人生をやり直せることができるなら、大学入学時に戻りたいな。と、思う。演劇やテレビの世界に夢見るのも素敵だが、すでに完成された絶頂期のコンテンツよりも、これから上り調子のIT業界に夢を見る人生も悪くなかったかもしれない。
しかし、そんな流れはつゆ知らず。激動の乱世に生まれたのに、その流れを一切感じていないローズは、まだまだ不景気といわれていた時代に、就職活動というイベントに挑むことになる。
>ティファニー☆さくらちゃん
お返事ちょっとまってね。。。