私の新人時代~大阪編~(10)

新しく東京都知事になった小池さんの政治手法が、劇場型政治。などと表現されることがあるが、ポコスターレベルワンは、劇場型のメイド喫茶だった。

小さな店内に狭いカウンター。お客さんとメイドさんがゆっくりお話をする。なんて、ことはありえない。基本的にメイドさんは、メイドさん同士好き勝手話していた。

女の子と話せないなんてつまらない。と、思うかもしれないが、それでも成り立っていたのが、ポコの素晴らしいところだった。

では、何をいったい話していたか?と、いうと、特別話が面白いわけではなかった。

ただ、とにかく笑い声にあふれていた。毎日起こる小さなことを、お互い報告し合い、ひたすら笑い、驚き、怒り、悲しむ。を、繰り返す。

いつか大人になると忘れてしまう、気づき能力や物事への興味や様々な感情。

そこには、人間の生命エネルギーがあふれていた。

「何が楽しいかわからないけど、とにかく楽しい」

と、いうのは、当時の私が思っていたことだが、「若さ」というものと、女性特有の「共感力」というものは、すごいなー。と、勉強していた。人を動かすのは理屈だけじゃないのだ。(真面目)

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メイド喫茶は、作りこまれた「非幻想」的なコンセプトと、いたって「日常」的なコンセプトの作り方があると思うが、ポコはとにかく後者のパターンだった。

こういうタイプのお店は、強い人は、舞台に上がってとにかく楽しめるが、弱い人は、お金を使っても全然相手にされず、不満に思うかもしれない。まさに弱肉強食の世界で嘘が無く、すがすがしい。

こういう面も、ポコに常連が少なく、また「一般的な」お客様からすると、非難される一端だったのかもしれない。

そんなところを、しっかり埋めていたのは、めるるさんだ。

いつも端っこに座って大人しくご飯を食べている私に、スキを見つけては声をかけて話しかけてくれていた。

別に私だけではない。同じように、「強すぎる」女の子になじめないお客さんを、いつも広い視野でさりげなくフォローしていたからこそ、お店全体としてのバランスが成り立っていたんだと思う。

そんなめるるさんが好きになり、私はポコに通い始めた。

無謀に見える?女の子にも、実はしっかりと最低限の教育はしていて、お店に入った時の挨拶は、活気にあふれ、何よりも早く、素晴らしいものだった。

そしてなぜか帰り際になると、ドアの所でわりと話してくれる風習も面白かった。終わりよければすべてよし。だろうか。ある意味ツンデレ喫茶だ。

「文化」というものは、一度作ってしまうと、なかなか崩れにくいもので、時が経ち、幾年もの月日が流れた今も、ポコスターは、いまでもポコスターらしさが根付いている。

いまでもたまにポコスターにおかえりをするが、人は変わっても、変わらない元気な挨拶を見ると、ついつい昔を思い出す。

めるるさんという素敵な初代店長がいてくれたのは、ポンバシの発展にひとつ寄与したし、私自身の人生も変えてしまったんだろう。

こうしてみると、メイド喫茶もバカにはできないし、人がする「仕事」というのは、実に素敵なものだと思う。私がしてきた仕事も、ひとりくらい、誰かに影響を与えただろうか?などと、考えるきっかけにもなる。

このような感じでポコに毎日通いだしたのは、東京よりも一足早くやってくる、梅雨の季節の6月だった。

しかし、ようやく大阪でも居場所を見つけたローズに、アキバ時代に通っていたメイドリフレ、アニーが閉店する。と、いう情報が目に飛び込んできた。