私の新人時代~大阪編~(9)

箱推しかつ店長推しを自分では公言するローズだが、ポコの店長のめるるさんは、本当に素敵な人だった。

色々揶揄されるポコのメイドさんであったが、共通項としてあげられるのは、在籍しているメイドさんの可愛さのレベルだった。

面食いではないローズであっても、このお店はレベルが高いな。と、一目でわかった。ちょっとクラブっぽい大人のお姉さんから、現役女子高生のオタクが好みそうなロリ系黒髪女子までジャンルは違えど、どの女の子も相当なレベルの高さだった。

めるるさんに直接聞いたことがあるが、顔の可愛さにはとことんこだわったらしい。

その理由までは深く聞いたことはないのだが、個人的に推測する分には、プレイヤーとしての経験がある女性の店長ならではの考え方だと思っている。

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人は見た目が9割」と、いう本が当時はヒットしていた。これは、メイドじゃなくても見た目は大事だし、メイドに至っては、否が応でも男性目線の女性のランク付けはまだまだ無意識に行われている時代だった。

後に通うことになるアンダンテでは、執事さんが通常時にも在籍していたのだが、執事さんが注文を取りに行くと、「ちっ」と、露骨に舌打ちをするお客さんもいたらしい。

どれだけうわべの体裁を整えたとしても、結局メイドは水商売の一種であり、男性が女性を買いに行ってる場所だと私は思っている。

そんな中で、売り物の顔が悪くて苦労をするのは、本人だ。愛嬌やトークでカバーすることはできても、やはり最低限のレベルというものは存在すると思う。

「始めてもいないのに」判断を下すのは、残酷に見えるかもしれないが、本人が嫌な思いをしないで済むし、無駄な時間を使うこともないので、私はむしろ優しさだと思っている。

また、採用したほうも、女の子が活躍して、本人に喜んでほしいし、お客さんにも喜んでほしいと通常なら採用責任を感じるので、誰でもかれでも採用して嫌になったらやめなさい。と、突き放すよりは優しいだろう。

少し例えは違うかもしれないが、将棋では、一定期間将棋を習って、プロになれなければやめなさい。と、いうシステムと同じではないだろうか?

メイドをアルバイトの一種と捉えるか、芸事の一種と捉えるかは、人によると思うが、当時のメイド喫茶は、まだまだ芸能界と一般の世界のあやふやな部分を行ったり来たりしている不思議な世界だった。

最近は、コンカフェという形態が、商業手法のひとつとして浸透してしまったため、大量のメイドが必要になり、大量の一般人が雇われるという時代になった。

誰もがメイドになれるのは、嬉しいことであるが、競争原理が働かないため、よりよいメイドになろうと努力をすることは少ないし、お客様のためという考えは少なく、ただのアルバイトで楽してお金がもらえればそれでいいんだ。と、思う一般人(NOTメイド)が増えたのは、嘆かわしいと思うのは、私だけなのだろうか?

「あのころ」は、もっとメイド喫茶が増えてメイドさんが増えたらいいのに。と、思っていたのが懐かしいものである。