私の主任時代~名古屋編~(1)

魅力のない街ナンバーワンに選ばれる名古屋。近年は、レゴランドのオープンで少し話題になってはいるが、名古屋に来たことが無い周りの人間は、いったいどう思っているのだろか?

東京・大阪に次ぐ第3の都市?味噌カツ・エビフライ・モーニングなど名物が多い街?トヨタの城下町で名古屋走りに代表されるような車社会の気性の荒い街?

私が見た名古屋という国については、この連載の中で少しずつ解き明かしていくが、少なくとも名古屋は、私の職場では、重要な戦略地であり、2社目の職場としてはキャリアハイを達成できた、思い出深い土地だった。

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出世コース。と、いう言葉があるように、私がいた会社でも、校舎長を多く輩出する校舎が存在した。

出世コースの意味合いについては、業界やその会社によって意味合いが変わってくるのだろうが、やはり営業職という意味合いでは、結果が出やすい環境。と、いうのが、出世をする意味では大きな要素を占めているようだった。

そういう意味では、名古屋は市場としてはかなり恵まれた環境である。当時の名古屋校は、全国で2番目の現役生の在籍数であった。1番は、横浜校。その前は、町田が1位だったのだが、私が2年前に在籍していた町田の校舎長だったH部長が横浜に異動をしてから、横浜が1位になっていた。

それまでいまいちだった横浜が、町田を抜いて全国で1位になったのだから、やはり商圏以外にもそこを管轄する人のマネージメント能力で結果は変わるのだと思う。

そういう意味では、名古屋も在籍数は多かったが、まだまだポテンシャルを秘めた土地だった。私に異動を促した理由としては、在籍数の向上とともに、講習の受講率をアップさせたかったようだ。

名古屋からは、2年連続で現役生コースの主担当が校長としてキャリアアップをしており、当然ながら、私もそろそろ上の段階を目指さなくてはいけないと思い、気合いを入れて名古屋に向かっていった。

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なんばでの高校生の在籍数の約3倍を持つ名古屋校では、売り上げも3倍に膨れ上がる。

卒業生よりは単価は下がるものの、それでも700人近い生徒からは、毎年3億から4億円の売り上げを達成する。

なんばの時にも、実質主任として業務を担当してはいたが、校舎長が形式的に主担当をしていたし、そもそも校舎長以外には、正社員としてのスタッフがいなかったので、アルバイトさんを除いては、ひとりで仕事をしていたようなものだった。

ところが、名古屋に異動してからは、2名の正社員を管轄することになった。それだけではない。大阪時代には、狭くて狭くて、まるでパズルのように教室の時間割を組み立てていた状態から、名古屋は、駅前10階建ての自社ビルで、潤沢なリソースの元、時間割を組めることになったのだ。

これは私にとっては、まるで天にも昇る気持ちだった。ずっとウルトラハードモードで仕事をしてきた中で、突然イージーモードに難易度がスイッチされたかのような心境だ。

大阪時代にずっとずっと欲しかった、ヒト・モノ・カネのうち、ヒト・モノを手に入れたローズは、今まで以上の大きな仕事に取り組んでいく。

ところが、結果が出ていない職場にはそれなりの理由があり、ローズは着任そうそう、大きな壁にぶち当たることとなる。