私の主任時代~名古屋編~(2)

初めての主任ということで無駄に力が入っていたこともあったかもしれない。しかし、それを差し引いても名古屋校のスタッフのゆるさは目についた。

コンカフェ界隈で私と接した人で、ローズは厳しすぎる。と、いう声を聴くこともあるが、正直、対面でもメールでもブログ上でも、私はいつも最大限に気を使って女の子とは接している。

限りなくわかりやすい表現を使用し、バックボーンが無くてもわかるような表記をし、注釈が必要であれば解説し、悪いところを指摘した後はその3倍褒めるように気を使っている。

職場でのローズを知っている人が見たらびっくりするくらいのやさしさだろう。当時のローズの口癖は、「なんで?」「理由は?」「次、同じことやったらやったら殺すぞ」であった。今であれば確実にパワハラ認定である。

理不尽なことや無茶なことを押し付けたりはしないが、その人ができる。と、お互いコミットしあった仕事については、容赦がなかった。

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マネジメント職でやりがちな失敗が、その現場の文化を理解しないままに、自分の経験を押し付けることである。

苦しい経験でたたき上げで育ってきた人間は、他の人間も同じように苦しい思いをすることが彼らのためだと思い込み、同じことを無意識に強要してしまう。

「そのままじゃ生徒が増えたら回らないよ」と、いう私の言葉は彼らには届かない。なぜなら、今は生徒が多くないし、そもそも今のやり方で回ってきた。ことを、まぎれもない事実なので、起きてもいない未来を想像する必然性が理解できないからだ。

一言で言えば名古屋初日の失敗は、そこにあった。

私もアホではないので、初日から「お前仕事なめてんのか殺すぞ」的なニュアンスは出さずに、「これはこうでこうだから、そのほうが効率的じゃないですか?」と、提案をしたつもりだが、初日にローズは3人のアルバイトさんを泣かせていたらしい。

翌日に校舎長から呼び出され、優しくそっとまずは様子を見るように諭された。

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人が違えば文化が変わる。

場所が違えば背景も変わる。

社会経験が乏しく、人間関係をまともに築いてこなかったローズは、29にもなる年齢になって、初めて地域差や個人差というものを理解した。

意気揚々と名古屋に乗り込み、華々しい成果を上げるはずだった、たかだか民間経験2年弱の29歳のコミュ障は、早くもその勘違いした鼻っ柱をへし折られた。

しかし、ここで今でもすごい。と、思うのが、私の性格を知り尽くし、君の考えは悪くない。僕は君の考えを最後まで味方するよ。と、いう意思表明をしてくれた赤木校長の人柄だった。

さすがに毎年校舎長を輩出しているキングメーカーの育成術は、今でも迷ったときに真似をしているくらい私の血となり骨となった貴重な1年だった。

その後も名古屋で上手くやれたのは、今でも尊敬する赤木さんのサポート以外になく、心から感謝している。

こうして気持ちを取り戻したローズは、主任として、3回目の繁忙期へと挑んでいく。