私の主任時代~名古屋編~(14)

名古屋での定休は、月曜日だった。基本的に日曜日も休みのため、日曜・月曜が連休になる。それまでは、連休なんて年に5~6回しかないようなシフトだったので、入社時には想像もできなかった夢のようなシフトだった。

この辺がアカギ校長のマネジメントの上手さだと思う。ある程度の年長者の私に気遣いつつも、他の社員も希望があったシフトについては、基本100%に近い確率で希望のシフトを通していた。

プロジェクトマネジメントの基本として、メンバーから出た休みのシフトはすべてノータイムで通せ。と、いう格言がある。頭の良い社員は、現在の状況を考えてシフトを提出しているし、頭が悪い社員は、最悪いなくても問題ない。それならば、すべて希望通りにしたほうが、メンバーのやる気も上がって効率が良い。と、いう考え方だ。

こうした好待遇もあってか、名古屋時代には、名古屋~大阪を何度も往復することができた。最初は日帰りだったら嫌だな。と、思っていた帰阪だが、連休であれば悪くはない。と、いう考えに次第に変わっていった。

当時はまだ韓国人も、中国人も難波に興味が無かったので、アムザというカプセルホテルも安価で気軽に泊まることができた。

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うたちゃんの卒業の理由はいまでも定かではないが、とにかく名古屋に帰る。と、いうことだけはネット上のリサーチで知っていた。こういう場合は、おおよそ結婚とか出産であるケースが多いのだけれど、自分の推しに関するときだけ、その推測は都合よくスルーしていた。

名古屋に来るのであればこれ幸い。と、いうことで、ひそかに連絡先でも渡してみようか。と、思ったが、恒例の手紙には、特に当たり障りのないメッセージを長々と書き連ねた。

なんで書かなかったかといえば「わからない」からだ。「わからない」と、いうのは、好きかどうかがわからない。と、いう意味である。

確かにお屋敷でのうたちゃんは好きだけど、プライベートのうたちゃんを好きになれるかはわからない。だから、一度プライベートでお会いしなければいけないが、プライベートでお会いできないからわからない。

わからないのに、好きというのも変だし、好きでも無いのに誘うのも変だし、どっちにしても詰んでいる。と、いうのが、ご主人様の悲しい運命なのかもしれない。

プレゼントも何をプレゼントしたら良いのかわからなくて、名古屋~大阪の新幹線の片道切符をプレゼントした。

なんで片道かといえば、金銭的にあんまり高額をプレゼントしたくない。と、いう個人的な心情と、うたちゃんにまた大阪に戻ってきてほしい。と、いう絶対に伝わらない謎のメッセージを込めてのプレゼントだった。

今でも思うが、うたちゃんの卒業が萌えしゃんどんの命運をわけたひとつの分岐点だったと個人的には思う。この後に卒業してしまう、こころちゃん、うたちゃんが中心を担っていれば、その後のメイドさんにもお客さんにも大きな影響を与えていただろう。

萌えしゃんどんを除いても、うたちゃんには地元に戻るよりは、都会でもっと輝く仕事をしてほしかった。アナウンサーでもラジオDJでも、彼女の才能を活かせる場所はたくさんあったはずだ。

そんな思いを無駄に手紙に込めながらこのブログのように、7枚近い手紙を彼女に送り付けた。

すると、いつからか卒業式恒例となった参加者へのお礼の手紙がうたちゃんからも返ってきた。

通常であれば公平を期すため、各参加者1枚ずつの手紙だが、ローズの手紙だけ6枚にもおよぶ分厚い封筒が返ってきた。

もしかして・・・。ローズは、かすかな期待を胸に、厚い封筒の封を切った。