私の主任時代~名古屋編~(16)

名古屋での生活は、大阪ほどコンカフェまみれの生活ではなかった。そもそも名古屋には定期的に通おうと思うお屋敷が無かったし、萌えりぃに行くにしても片道20分と、実に微妙な距離感だった。

しかも、大阪時代は、ほぼひとりで仕事をしていたのに対し、名古屋ではチームを持っていたので、仕事の行きかえりでも人間と会話をする機会がいくらでもあったのが何よりうれしかった。

ローズと仕事をしたことがある人はわかるかもしれないが、私は仕事中でも仕事外でも、基本仕事の話しかしていない。

忙しい仕事から解放された後も、仕事・仕事・仕事の話をひたすら続けていた。現状の進捗がどうなっているのか?と、いう確認的な時間となることもあったし、次の講習のプレゼンの内容をどうする?と、いったブレスト的な内容をひたすら続けるときもあった。

ある意味旧時代の飲ミュニーケーション的な側面を持つこともあったが、相手を受け入れてチームビルディングするという側面よりは、各自が自分をブラッシュアップするための自己啓発的な時間帯だったと思う。

ローズと仕事をしなくても、コンカフェ関係でかかわったことがあるならわかるかもしれないが、相当なスピード感と圧迫感を長時間続けるので、普通の人なら参ってしまうだろう。

「なんで上手くいってその結果になったの?」

「なにが悪くて予想より悪い結果になったの?」

「その2倍の成果を出すためにあらゆる前提を崩したら何ができる?」

「その2分の1の時間に短縮するためには何がいらない?」

成功事例は、いつでもその結果を出せるように。失敗事例はもうその事態が起こらないように。成功しても失敗しても変わることなく、毎日毎日、改善・改善・改善の日々が続いていった。

---------------

その成果もあってか、名古屋でも基本講習の売り上げが、前年比140~160%で推移していった。私がすごいというよりは、もともと名古屋という市場の持っているポテンシャルと、サクラさんの天才的な能力のおかげだと思う。

しかし、売り切り型のビジネスモデルではない、ストック型の教育サービスは、売り上げが上がれば上がるほど、講師の手配に、授業準備、生徒アフターフォローと自分で自分の首を絞めるように仕事が積み重なっていく。最初は上手くいっているように見えたチームも、目に見えないところで徐々にひずみが生じ始めていたのだ。

太陽が高く照り付けるある日、出勤しようと会社に向かっていく道の途中、道端で体育座りのようにしてうずくまっている人物を見た。

この暑さのせいで倒れてるのかな?と、心配になってよく見ると、うずくまっていたのは、なんと新卒1年目のヤセガワさんだった。

「どうしたの?」

今までに経験したことのないケースを目の当たりにして、ローズは恐る恐る声をかけた。