私の主任時代~名古屋編~(18)
「もう私にはできません!」
面談室で急遽泣き出した彼女の声は、心の底から疲れ切った魂の叫びだった。
意識が高く、すぐにでも校長になりたいと言っていた彼女の口からは、予想外の言葉に私は正直動揺した。
「彼女のためを思ってやっていたのに」
脳裏には自己擁護の言葉が、自分の心を守るために反射的に駆け巡ったが、それを言葉に出すのはぐっとこらえた。
「うん。少し急ぎ過ぎたかもしれないね。ごめん。」
女性が爆発してしまった時の男は、例にもれずポンコツなので、何をどうしたら良いかわからず、ひとまずその場を取り繕う言葉をいくつか並べ立て、ひとまず面談室を去った。
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きっと今までも我慢していたのだろう。それからの彼女の態度は、今までとは違って、急にそっけなくなった。
私が話をしていても、顔も向けずにパソコンに向かって手を動かしていたりして、ぶん殴ってやろうかと思ったときもあったが、まずは自分の直すべきところを考えた。
ほんの2か月前の夏期合宿の申し込みの時には、昨年の200%近い売り上げをたたき出し、合宿の申し込みの時には、まるでディズニーランドのような長蛇の列ができ、二人で興奮して喜び合ったのがまるで遠い過去のように思えた。いったい自分の何が悪かったのだろう?
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原因は大きくわけて二つあった。ひとつは、彼女の苦手な事務作業を延々と繰り返しさせてしまったことだ。
いずれマネジメントをする段階になれば、時間割作成などの事務作業を避けては通れない。だから、どれだけ彼女が苦手なモノであっても、それは克服しなければならないものだ。と、思い込んでいた。
ひとえにそれは、自分がずっとひとりで生きてきたからの経験からだと思う。幼少期から友人が少なかった私は、すべての面において、誰に頼ることもなくひとりでおおよそのものをこなしてきた。特に前の職場は、大きな校舎でなかったため、あらゆる仕事をひとりでカバーしなくてはならなかった。だから、「誰もが自分と同じ」にならなくてはいけない。と、思い込んでいたのだ。
なんでもソツなくこなせるが、裏を返せばすべて中途半端な、ゼネラリスト的な人間は、過去の日本の遺物である。これからの時代は、どんな些細なニッチな分野でも誰にも負けない能力がひとつあれば良い。自分ができないことは、誰かできる人に全部任せてしまえばよかったのだ。
彼女は営業という素晴らしい力があるのに、そこを認めず、褒めずに、苦手な部分だけを指導してしまったのが、この時の失敗の要因だ。
長所伸展。この言葉は、これからますます時代にマッチする流れになるだろう。
自分の苦手なことは嫌なことはやらなくていい。好きなことや得意なことだけやっていればいいのだ。
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もうひとつは、私が「可能性」の話を多用していたからだ。実際には起こっていないミスを「私がもしこうだったらどうするの?」と、問い詰めることが彼女にとってはひどく不満だったらしい。
「だって、実際にそんな風になってないし、そもそも本当にそんなこと起こるの?」
彼女にしてみればそういう気分なんだろう。
それをわからせるために、実際やってみても良いが、実際にしりぬぐいするのはこっちなので、それはすんでのところまでしか見守ることはできない。
ビジネス的に言えば「リスクマネジメント」なんてことも言えるが、別にそんな小難しい話ではない。
例えば自動車で道を走っていて、横断歩道があった時、そこから誰かが飛び出してくる「可能性」を織り込み済みか、織り込み済みじゃないか?と、いう内容だ。
私個人としては、「知っていた」なら、基本的にどういう決断をしても怒ることはない。しかし、「知らずに」実行し、「たまたま」うまくいっていたことを、もしもこうだったらどうするの?と、確認をしておきたいだけなのだ。
ところが数字、というか「結果」に執着のある人は、「過程」についてはあまり興味が無いらしく、結果として上手く行ったのに、どうしていちいち問い詰められるのか不満だったようだ。
こういう話をすると、「じゃあ、結局私はどうしたらいいんですか」と、言われてしまうのだが、そこで私が「こうしなさい」と言わないのも、また彼女のストレスの原因らしい。
私のブログをよく読んでいる人は気づくかもしれないが、私のブログを読んでいると、最終的に「じゃあ、何がいいたいの?」という内容が多いと感じる人もいるだろう。
基本的に、多くの角度・立場から両論併記の内容を記載しており、特に自分の意見は示さない。
別に「こうしなさい」と、私が指示を出すのは簡単だが、それは私の望む内容ではない。私が望んでいるのは、あらゆる角度からその事象を検討し、メリット・デメリットを把握したうえで、自分なりの「決断」をする練習をしてほしかったのだが、どうやらそれは、私の希望の押し付けだったらしい。
さて、原因がわかったところでどうしようか・・・。
チームで仕事をすることの素晴らしさを知りつつあったローズだが、チームが崩壊したときの孤独感も同時に知りつつあった28の年だった。