私の主任時代~名古屋編~(22)

萌えしゃんどんのくるみさんは、絵に描いたようなお金持ちのメイドさんだった。彼女の更新するブログには、なぜか家に桜の木が咲いていたり、靴収納専用の靴箱に50足くらいの靴が収められていたり、どうしてわざわざメイドをしているのか一般人には理解に苦しむ生活だった。

詳しくは、くるみさんの卒業ブログなどを参照してほしいが、当時のメイド喫茶は、一般人が集まるような場所ではなく、一般社会からは、少しずれたような感覚の人が集まる場所だった。

だから、見た目や思想の偏見無しに色々な人が交流し、認め合い、受け入れ合う文化が成立しており、そこが非常に心地よい空間だった。普通ではまず出会うことのない人たちがメイド喫茶をきっかけに出会い、働く人同士も、お客さん同士も不思議な友情を育んでいっていたのだ。

人がコンカフェに引き寄せられた要因は様々だが、くるみさんは、自営業の手伝い?らしい仕事環境から離れて、自分自身の価値を確認するかのようにメイドになったタイプのひとりだったようだ。

萌えしゃんどんがあれだけの隆盛を極めたのは、個人的にはくるみさんの存在が大きかったと感じている。おそらく彼女が発する言葉にできないエネルギーというか気のようなものが、メイドさんに、お客さんに、建物にまで満ち満ちて、あの活気を生み出していたのだと思う。

イベントの立案から実行に至るまで、また、田村ゆかりの歌を自分自身の曲として?お店に浸透させるまで、個人の役割として成した功績はあまりにも大きい。

「強引さ」が時に迷惑になると思われがちな現代だが、「強引さ」は、それだけ相手を気にしている。と、いう証にもなる。

当時名古屋に住んでいた私に、わざわざ自分の生誕に来てほしいと伝えるのは、確かに本当に費用に見合ったリターンを返せるか臆してしまうところだ。しかし、くるみさんは一切の迷いなく満足させることは当然という意気込みで、自信満々で私を名古屋から引っ張ってきたのは、今でも懐かしい。

そして、それは私だけでなく、それぞれのご主人様との「約束」があったのだろう。画面の前の皆様にも思い当たる会話が必ずあったはずだ。

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当時のくるみさんとローズとのつながりは「漫画」と「ブログ」だった。もともと漫画が好きだったくるみさんとは、いつも漫画の話で盛り上がった。

しかし、サンデーなど、少年誌でもやや女性よりの漫画が好きだったくるみさんと、努力・友情・勝利の少年病に犯されたローズの好みは、今考えてみればだいぶ違ったものだろう。

しかしながら、いつも私がブログに書き込んでいた漫画を「実際に読み」その感想を伝えてくれるくるみさんのサービス精神は、称賛に値するだろう。

また、私のブログを誰よりも読み込み、その感想を伝えてくれた彼女の「話題力」も恐るべきものである。

そう。最初は内緒で始めていたブログも、いつしかメイドさんの間に知れ渡り、半ば公然の事実となってしまっていたのだ。

このころから、さすがのローズも、ブログに書き込む内容を少しずつ意識するようになっていた。