古くからそのセンスが問われる遊びだったらしい話

カラオケの語源は、空オーケストラ。
そもそもオーケストラが空じゃダメじゃないかと思うのは私だけ?

なんて出だしはもとより、
先日るりちゃんに歌を歌ってとせがまれた男爵ですが、
最近私は、カラオケという遊びが恐ろしくってしょうがないなぁと感じます。

高校生のころには、全然そんなことなど微塵も感じずに、
「カラオケって苦手なんだよね」って友達を不思議に思ってました。

でも、今ならその気持ちが十分理解できます。
カラオケって恐ろしい遊びだよね。(笑)

普通にこの文を読んでる人は、私が何にたいして
そんなにカラオケを恐れているかわかってないと思う。
そこで、今日は私が思うカラオケの恐ろしさを語ってみましょう。

カラオケ恐ろしやポイント1
「究極のエゴイズム空間」

カラオケにおいて、自分が歌わない時みなさんは、何をしてますか?
自分の知らない歌を歌われて、ふんふんなるほど〜なんて、
真剣に聞いてる人は、滅多にいないかと思います。

カラオケで人が歌ってる最中にみんながしてるのは、
だいたい歌本を読みふける行為か友達とメールなど。

仮に聞いてたとしても、
「へ〜こんな歌まで入ってるんだ〜」
「あ、この歌手懐かしい。次歌おう」などなど。
他人の歌をじっくり聞く暇なんてほとんど無いと思います。(笑)

そりゃ、そうでしょうね。
だって、歌なんて人が歌ってる時にすることなんかないもん。
特にあんまり人が知らないような歌を歌っていれば、
歌を聴かない人が悪いとは、決して言い切れないでしょう。

それなのに、他方歌う方としては、一生懸命歌います。
誰も聞いてなくても頑張って歌います。(笑)

この落差に最近私は耐え切れません。
だったら最初から基本一人で歌えば良いのにって思います。
どうしてみんなで来るのだろう?(笑)


カラオケ恐ろしやポイント2
「究極のセンスチェック空間」

次に、私がカラオケで恐ろしいなぁと思うのは、
選曲というものに、非常に気を配らなければいけないこと。

例えば、私はGLAYが好きなのですが、
カラオケに行ってGLAYばかり歌っていても、
あまりみんなは喜びません。

GLAYファンの集いという事で、
みんながみんなGLAY大好きならば問題ないのですが、
カラオケにおいてそんなことは、滅多にないこと。

だいたいは、年齢差による年代の違いや、
ジャンルの違いによる好みの差。

その場その場で適した選曲をしなければ、
なかなか場を盛り上げるのは難しいですよね。

場を盛り上げるといえば、
選曲になんとなく縛りがかけられるのも、
なかなか絶え難いものがあります。

例えば、今の時期だったら、春の歌っぽいやつとかね。
卒業、別れの歌限定とかそういう感じになってきますとですね、
「おまえ、どれだけ音楽知ってるの?」的な雰囲気になって、
なんだか、センス勝負をしてるみたいで嫌なのです。(笑)

そんなこと気にしないで、自分の好きな曲歌えばいいじゃんとなれば、
1で言った様な、エゴイズム大会。

選曲のハイセンス勝負になっても、
それはそれで、エゴイズム大会。

いやぁ〜、カラオケって本当恐ろしいですね。(笑)

以上の理由から、私はカラオケって、
あまり人と行きたいなぁとは思わなかったりします。
特に社会人になってからは世代差があるのでなおさら。

カラオケという遊びが難しいのは、やっぱり、
歌う人以外が楽しめる機会が少ないからなんでしょうね。

やっぱり、そこを解消するためには、
アニメやテレビドラマの名場面のシーンを、
アフレコして楽しめちゃう「空ドラ」みたいなの作ってくれないかなぁ?

特に「コスプレ」っていう文化があるように、
「何かになりきる」って願望は誰にでもあるはずだから。
それをみんなで楽しめる空間があれば絶対流行るよ。
特にアキバ。(笑)


でも、そんなシステムが出来ても
友達いない男爵は結局ひとりでやるんだろうなぁ。

まさに劇団ひとりですな。
まぁ、悲しい。


笑いのために自分でふざけて書いてたのに、
本当の本気で悲しくなってしまう。

そんな話。(笑)