私の履歴書22(53)

高校1年生ともなれば、背伸びをしたい時期であった。その当時は、マガジンで坊や哲が流行し、今は「カイジ」で有名になった福本先生が、「天」「アカギ」と麻雀漫画を地味にヒットさせ、ローズも例にもれず、悪ぶって?麻雀を始めた時期だった。

時期だった。と、いえども、打つ相手がいない。祖母の家に行けばたまに叔父が相手をしてくれたが、もっぱら相手はコンピュータだ。人と打ってこそ楽しい麻雀を機械相手に楽しんでいる。なんと哀れなことだろうか?

麻雀だけをしてもいまいち暇なので、BGM代わりに、趣味のテレビ番組を見たり、好きな音楽を聴きながら麻雀を無制限で打ち続けていた。

そのころはまっていた音楽は、エックスジャパン。チャゲアスも、TRFも当時は知らないくらい音楽音痴だったローズが、何故か解散したバンドにはまっていた。

そもそもの入りのきっかけは、のちに高校時代に尊敬することになる1年生の担任のF先生。当時の年齢は、30過ぎくらいで、さらさらの髪を真ん中から分ける、トランクスのような髪型だった。たぶん、今の私と同じくらいの年代だったのだろう。それなりに、生徒の指導経験も豊富で、かつ、若い生徒の気持ちもよくわかり、授業にも熱意のある、もっとも素晴らしい年代に巡り合えたのだと思う。

その先生がことあるごとに、エックスジャパンの魅力を語っていたので、それだったら一度聞いてみるか。くらいの気持ちで聞いたら、ドはまりした。

エックスジャパンの魅力を一言で言うと、、、よくわからない。音楽的には、今聞けばそんなにテクニックもないし、見た目のファッションだって、相当ダサい。

ただ、ダサいけど、人を惹きつける何かがあった。万能無敵の根拠のない勢いがあった。今で言えば、炎上商法というのだろうか?とにかくYOSHIKIがめちゃくちゃではちゃめちゃですぐ、ドラム壊すし、自分の体も壊して、ライブが中止になったりしていた。

戦略なのかたまたまなのかはわからないが、彼らの魅力を一番表していたのが、今でも珍しいライブ音源のCDを複数販売していたことだろう。ここには、動画はなくても、そのライブの「熱」があった。TOSHIのあおりは上手いし、やはりYOSHIKIのはちゃめちゃさはあふれていた。そして何よりhideが優しかった。まだ何物でもない自分も、いつかこんな風に大人と戦ってみたいと思っていた。

そんなこんなで漫画に、音楽、ゲームに、麻雀とこの世の春を謳歌していた高1時代だが、勉強面で振り返ると、最悪の時期で、夏が終わるととにかく赤点のオンパレードだった。

数学は、最初は80点、60点を取れていたが、2学期の中間で21点、期末で16点、学年末で18点と散々な結果だった。

念のため断っておくが、授業中に寝ていたわけではない。家で勉強することは確かに少ないのだが、ローズは、授業中は、一切無駄にしたくないので、全神経を集中して聞いていた。そして、授業中には確かに手ごたえを感じていたのだ。

まさしくこれが世の中の真理の一つ。「わかる」と「できる」の違いというものを、身をもって体験した。

確かに、授業の中でそもそもの「理論」は、理解することができるのだが、実際にそれをひとりで「やりきる」というのは、また別の能力だ。たくさん音楽を聴いたからギターを弾けるようにはならないし、たくさん野球の試合を見たからと言って、野球が上手くなるわけでもない。

「手を動かす」ことが何より大事であることを学んだ瞬間であり、高校受験に失敗してもなお、1年経たねば気づかなかった自分の甘さに、ようやく気づき始めた瞬間だった。