私の新人時代(5)

社会人1年目の生活は、特に可もなく、不可もなく。誰かにいじめにあうことも、仕事が忙しすぎて社会人というものの洗礼を受けることもなく、平穏無事。と、いう表現以外が何もできないほどあっさりと終わった。

毎日を何をして過ごしていたかというと、あまりにも暇すぎるので、とりあえず資格試験の勉強をしまくった。持っていても、持っていなくてもいいのだが、一応仕事に関係するということで、放射線取扱主任者2種、X線作業主任者、危険物取扱主任者乙4種を取得した。

それ以外にも秘書検定2級を取ってみたり、初級システムアドミニストレーターの資格を取ってみたりと、余りある時間を有効に使っていた。

今思えば、そんなしょぼい資格じゃなくて、簿記や中小企業診断士だったり、さらには税理士や、公認会計士の資格でも取ってやればよかったと思っている。

仕事も半年も経つと、ある程度の業務はこなせるようになっていた。私の独法は、放射線なんたらかんたら研究所と言い、平たく言えば、放射線を使った先進医療に関する研究をしている法人だった。

なので、敷地は馬鹿でかく、研究所内には、実験用のマウスやサルが複数いた。実験だから仕方ないとは思うのだが、ガンガン放射線に関する薬を打ちまくって、その反応を見たりするのだ。

研究所の施設は大小さまざまだが、もっとも大きなものは、半径1km近くの円形加速器がすさまじかった。

エヴァの研究所よろしく、地下何層にもわたる広大な加速装置。粒子を何周もその加速器で回し、広大なエネルギーにしてから、癌の部分にあてると、治るという代物だ。

当然ながら、その装置の保守・運用には莫大な費用がかかっており、一度本来なら課長が対応する案件だった面談に、なぜか平の私が出席し、三菱電機だかどこかの部長クラスの人間が、私にいろいろな説明をしていたのを今でも覚えている。

一般社会では殿上人にも近い人が、公務員の平社員にペコペコするとは、バカバカしい世の中である。。。

バカバカしいといえば、予算を使い切る。と、いうくそみたいな仕事も印象的だ。

確か、年度末近くになって、課の予算が1000万くらい余ったので、全部使いきれ。みたいな、仕事があった。

正直、必要なものもないのだが、例によって予算を使い切らないと、来年度の予算が減らされるので、とりあえず古くなった施設の建て替えと、研究者向け放射線施設のマニュアルの英語化を外注した。あとは、正直現在でも困ってないのだが、部内の一太郎を最新バージョンにバージョンアップする。と、いうことを試してみた。

だいたい上記の内容で、すべて使い切れる予定だったのだが、当時は公共機関のお金の使い方が厳しく問われる時代だったので、確か200万くらいでバージョンアップする予定だった費用を、渉外課?が、値切って150万くらいにしやがったのだ。

正直、こっちとしては、安かろうが、高かろうが自分には関係ないし、むしろ高いほうが、こっちもうれしくて、あっちもうれしくて、winwinの関係だろ。と、思っていた。なんとも、うわべだけのくだらない仕事だ・・・。

最後に、放射線。と、いうと、福島の事故などを思い出す人もいるだろう。そう。当然ながら、私の法人は、内部被ばくに関する研究も行っているし、放射線に関する事故が起きた場合に、真っ先に連絡が来る法人であった。

万が一放射線のテロが起こった時のために、警察と成田空港での合同訓練を実施したこともあり、おそらく私があの法人に所属をしていたら、2011年は、尋常じゃない激務に見舞われていたことだろう。

のちにこの独法はやめることになるのだが、それが良かったのか悪かったのかは今となってもわからない。後になって振り返ってみると、人生とはまことに面白いものである・・・。