私の新人時代~大阪編~(22)

「推し」という言葉が一般に浸透したのはいつくらいだっただろうか?少なくとも、私が秋葉原にいたころには、そんな言葉を使っている人はほとんどいなかった。

おそらくAKBが本格的に世間に認知され始めた、第3回総選挙くらいからなのだろう。

それまでは、たとえコンカフェに毎日のようにおかえりしていても、日本人特有の奥ゆかしい文化なのか、誰が好きであるかなんて、心の奥に秘めていたのが一般的なスタイルであったように感じられる。

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当然ローズも、そんな感じで「お店」に通っていたのだが、てんちょ~と店外をするようになってからは、なかなかそうもいかなくなった。

あれだけ、てんちょ~があんちゃんを好き好き毎日言うものだから、むしろ誰か特定の人を好きでもないのに、お店に通っている自分がおかしいんじゃないか?と、思い始めるのだから不思議なものだ。

あんちゃんは当然好きだったが、目の前のてんちょ~があれだけ熱意を持っているのを見ると、自分の好きなんてたいしたことないな。と、思えたので、とりあえず他の女の子を推すことにしてみた。

ローズが当時ポコで好きだったのは、くるみちゃんである。

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当時のポコには色々な女の子がいたが、明るく・笑顔で接客が良い女の子として、しゅうちゃん・くるみちゃんの仲良しコンビがわりと有名だった。

しゅうちゃんは、ショートカットの現役女子高生で、顔立ちがすっきりとしており、当時は篠田麻里子にそっくりだと評判だった。頭の回転が良く・・・と、いうよりは、本能的に接客業に向いているタイプで、お客さんのあしらい方が非常に上手かった。

対してくるみちゃんは、見た目はおっとり朗らか癒し系の雰囲気であり、愛須ばにらちゃんをもう少し細くして、可愛くして、ナチュラルな笑顔にした感じの女の子だ。

わりと重度のオタクで、当時は、中川翔子が好きで、東村アキコ海月姫が好きで、まゆゆが大好きだった。彼女の影響で、グレンラガンを見始めた思い出がある。また、ブログを書くのも上手く、「\(^o^)/」を多用して書いていた。私が「\(^o^)/」を使っているのはくるみちゃんの影響である。

こう書くと、くるみちゃんが大人しめに見えるかもしれないが、ポコの女の子の伝統なのか、めちゃくちゃテンションが高くおしゃべりで、お客さんを罵倒しまくる姿はギャップ萌えだった。

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彼女たちは、「テラシュール」と、いうコンビ名で、地下アイドル活動もしていた。とは言っても、今のような地下アイドルではなく、2~3か月に1回、ディズニーランドに行くお小遣いを稼ぐ程度の、ゆるい活動だった。

地下のライブ活動を見たのは、おそらくテラシュールがきっかけだったと思う。ギルドと、心斎橋のどっかの会場に見に行き、彼女たちの「言い訳メイビー(ダンス付)」を見て、すげー。と、思った記憶がある。

お客さんの数は、20~30名だっただろうか?彼女たちは、基本昼の時間帯に出ているだけで、夜にはもう少し混雑していたのかもしれない。

恋レンジャーさんの名前は憶えているが、当時の出演者は、どんな人がいたのだろう?

逆にお客さんは、意外によく覚えている。当時のポコは、地下アイドル系のお客さんもそこそこ来ていたらしく、くりりんさんやへなぎさん、ろんさん、あとは双子の兄弟なんかを見かけていたような気もする。

ただ、アニメに詳しいわけでもなく、アイドルに詳しいわけでもなく、ただ知っている「出演者」を目当てにライブに行くお客さんにとっては、その他のライブには興味が無く、一組だけ見て2000円から3000円は高いなー。と、思っていた記憶がある。

それから何年かののちに、関西の地下アイドルシーンがこんなに発展するとは思っていなかったし、自身が通うとは想像すらできなかった。

いつの時代でも、過去を見れば答え合わせは簡単だが、その時に未来を想像することほど、つくづく難しいことはないと思う。