私の新人時代~大阪編2nd~(16)

アンダンテに通うようになって、新たにたしなみ始めたのが、コーヒーとウイスキーだった。

紅茶はそれまではそこそこ好きだったけれど、コーヒーは、正直美味しいと思わなかった。私にとってコーヒーは、甘ったるいカフェオレ的なジュースであり、飲むシーンもあんパンと食べるオンリーの存在だった。

それが、ダンテのブルーマウンテン、略してブルマを飲むことによって一変した。確かに、これは美味しい。それ以降、ちゃんとした珈琲は、ブラックでしか飲まないように人生が変わっている。

おそらくブルーマウンテンが700円か800円で存在をしていて、普通のコーヒー店では破格の値段だったのを覚えている。これもどういう値段設定だったのだろうか。今となってはその価値がわかるが、当時は高いと思っていたのが恥ずかしい。

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もうひとつのウイスキーは、確か毎週木曜日のバータイムの時によく飲んだ。

雨さんのお得意さんが、たしか木曜日がお休みらしく、木曜日だけは深夜近くまでオープンしていたのだ。

そこでは普段出ないような珍しいお酒やおつまみがあったのが、まだまだ子供だった20代には嬉しかった。

ウイスキーは、個人的にはロックで飲むに限る。最近は企業戦略の影響なのか、ハイボールが再び流行りだしているが、ウイスキーといえば、ロックだろう。

最初は、きつすぎる香りと濃度にその味を理解することができないが、時間とともに氷がとけだしてくると、ゆっくりとじんわりと、10年近く積み重ねた歴史が口の中に広がり始める。

10年の歴史が一瞬でわかるわけが無い。そこに必要なのは、「時間」なのだ。

若いころのようにただ酔うためだけのお酒ではなくて、その場所や、その時間を、素敵な人たちと共有するためにぴったりのお酒だと思う。

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アンダンテの魅力は、メイドさんや雨さんもさることながら、個性豊かな執事さんが、私は全員大好きだった。

中でも雨さんと一緒にほぼ経営を担っていたムラカミさんとイナバさんは、本当に素敵な執事さんだった。

普通にお客さんとして二人のそれぞれの話をつなぎ合わせると、どこからどう考えてもムラカミさんと雨さんが付き合っていることはまるわかりなのだが、むしろそれが素敵だな。と、思える温かで優しい場所だった。

グレンフィディックボウモアを飲むとだいたい800円から1000円くらいの値段で、いつもお会計の時に高いなー。なんて思っていたけど、今となっては、普通に安いやん。と、思う。

少し恥ずかしい思い出は、発砲日本酒の「鈴音」を飲んだ時にも、1000円くらいの値段で、グラス一杯なのに、バーの時はやけに高いなー。なんて思っていたのも、今となっては懐かしい思い出だ。

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恥ずかしい思い出繋がりといえば、アンダンテの2周年イベントか何かの時に、ネットで注文できるよくある、ロゴ入りのお酒をお店にプレゼントしたことが今となっては良い思い出であり、少し恥ずかしい思い出だ。

何をどう思って、それをプレゼントしようと思い立ったのかは不明だが、メイドさん個人でも、お店でも3000円前後でプレゼントを考えている私が1万円くらいする注文をしたのだから、当時のダンテを相当気に入っていたのだろう。

アンダンテの人々も、私のどーでも良いプレゼントを、本当に喜んでくれて、お店の棚に飾ってくれてるのを見て、この人たちはなんていい人なんだろう。と、ますます好きになったのを覚えている。

「打算」や「戦略」を踏まえた上で、付き合っていく「個人」や「組織」を選別しながら「投資」をしていかなければ馬鹿を見るのが現代だ。

当時の私は、性善説のカタマリのような人間だったので、何も考えずに、いいな。すごいな。と、思ったものに、何も考えずにお金を払っていた。

別にアンダンテの人に特別待遇をしてほしいわけでもないし、何もリターンが無くても構わないと、思って。正確に言えばそんなことすら「思わない」でお祝いをした。

すると、彼らはいつもそれ以上の「何か」をくれた。だから私も自然と「何か」を返したいと思って店に足を運んだ。

『10もらったら自分の1を上乗せして11にして次の人へ渡す。小さいけど僕達が辿りついた「等価交換を否定する新しい法則」です』

上記の言葉は鋼の錬金術師の最後のシーンのセリフだが、お店とお客さんでそんな関係を築けていたのが、当時のアンダンテだろう。

今は、「等価交換」の原則は、個人間の契約で守られているかもしれないが、それは限定的で、秘密裡で、保守的で、閉鎖的で、漸減的で、なんだか少し寂しい気もする。

「成長」とは、価値を「付加」することによって生まれる。成長無き時代。限られたパイを奪い合う現代から見ると、10年前は、なんとも幸せな時代だったのかとつくづく思う。