私の新人時代~大阪編2nd~(28)

人と人の付き合いの積み重ねこそが、人が生きていくうえでの楽しみかもしれない。

人生は出会いと別れの連続だ。

生まれてから家族と出会い、学校に通っては友人と出会い、会社に入っては同僚と出会い、そしてやがてパートナーと結婚し、自分の子供と出会っていく。

人との出会いは、自分の生活圏に留まらない。

将棋や囲碁の趣味があればサロンに通い、アイドルやメイドさんが好きであればライブ会場やコンカフェに通い、そこで男性・女性問わず様々な出会いを広げていく。

近年の出会いは、現実の世界に留まらない。わざわざツイッターやインスタやフェイスブックを使い、ネット上でも多くの人との関わりを人は求めていく。

そう。人は結局人が好きなのだ。

ところが人との出会いは良いものばかりでもない。自分の価値観と合わない人間や、自分のことを利用目的で近づいてくる人、果ては自分に害を及ぼす人間まで、断ち切りたい出会いも当然ある。

自分の家族や地元の友人、もしくは地下アイドル現場で出会った共通の趣味の知人など、自分の意思や行動で関係を変えられる人であればいいのだが、学校のクラスや職場での上司・同僚などであればそう簡単には変えられない。

そんなときに効果を及ぼすのが人事異動だ。

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大阪・名古屋・福岡とのちに転勤することになったローズだが、大阪行きの異動打診を除いて、基本的にすべてその場で即答の了承の返事を出している。

コミュ障という言葉があり、世間では人とコミュニケーションが取れない人間。と、いう風に解釈をされているが、本当のコミュ障は、人と人との関係性を長期的に維持し、育てていくことだと思う。

そういう意味では私は心底コミュ障だ。初めて出会った人とはいくらでも話を続けることは可能だが、そこで出会った関係を長期的に続けることは正直苦手だ。

まず、コンカフェ・アイドル現場関係で私のLINEに留まらず、連絡先を知ってる人は、ほぼ皆無だろう。

それはこの界隈に留まらず、仕事関係の人でも同じである。このひと月の間に業務以外のLINEなんて5通(しかも一人)しかない。

さいころから大のオトナになるまでずっと育ててきた関係や経験なんてないから、どうやって「トモダチ」的な関係を築いたらいいのかわからないのだ。

だからといって、人前で話すことができないわけではない。「職場」や趣味の「現場」で、役割やキャラクターを与えられればもちろんしゃべれる。

人と話す。と、いうことが仕事なのだから、そこではどれだけしゃべっても不自然ではない。でも、そういう役割の無い人間と人間の関係になると、途端に何をどれだけ話せばいいのか?と、いう、距離感や空気感がわからないのだ。

こういう感覚は、もしかしたらアイドルさんやメイドさんも多いかもしれない。

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アイドルさんやメイドさんと同じ。と、いう視点で考えると、顧客との関係は時に重荷に感じるときもある。

教育業の最も楽しいところは、人の成長を長い関係で見守れることだ。

例えば高校1年生で入学した生徒とは、最大3年間の関係を築くことができる。場合によっては3年間に留まらない。

講師として採用してしまえばさらに4年間のエクストラステージが待っているし、就職までさせてしまえば一生の付き合いまで発展させられる。

人生をかけてお客様と関わえる仕事はやりがいでもあるが、同時に相当の重荷である。

営業的な側面で言えば、どうしても入会を促すために、かなりの負担を約束してしまうし、苦手なお客様でも、自分を気に入って指名をしてもらえたらその好意からは、自分からは逃げることが難しい。

いわゆる「しがらみ」というやつだろうか。

一度築いてしまった自分のブランドイメージは、ある日からやっぱりこれは全部やらない。と、いうことはできないもので、かなりのストレスが溜まるだろう。

接客・営業的な仕事をしている人ならば、今のすべてを投げ捨ててでも、すべてリセットして新しい土地でやってみたい。と、誰もが一度は思うはずだ。

近年、大阪のアイドルが名古屋や東京に定期的に遠征をして新しい顧客をつかみに行っているのも、営業的な側面に加えて、大阪でのしがらみから解放された新しい環境を求めてのことかもしれない。

ポコスターという自分の居場所を失った後も、せっかくアンダンテと萌えしゃんどんという新しい居場所を見つけたローズだが、留まることを知らない好奇心と、自分自身がコミュ障であるがゆえに、名古屋行きを快諾をした。

時は2011年1月中旬。

テン年代という、時代の大きな転換点が静かに動き始めたころであった。