私の主任時代~名古屋編~(6)

2011年といえば、地上デジタル放送に完全に切り替わった年だ。今までは、一方通行的なコミュニケーションでしかなかったテレビというメディアだが、地デジにより双方向のやり取りが可能になった。テレビ業界は新しい表現の可能性があるのではないか。と、この時には、まだ様々な期待が寄せられていた。

私が持っていたテレビは、旧型の分厚いテレビだったので、2011年を境にテレビはビデオを再生し、ゲームに使用するだけの世間からは切り離された、ただの箱になった。

仕事とメイドに熱中していた私には、テレビはもはや別世界の話であり、人生の主役はすでに「箱の中の誰か」ではなく「自分」だったので、テレビを見なくても特に困らなかった。

2011年の地デジ切り替えとともに印象に残っているのは、この年からのスマホデビューだった。初めてのスマホは、アイフォンではなくて、アンドロイドだった。使ってみた率直な感想は、、、遅い。だった。

普段からパソコンを使い慣れていた私は、インターフェース的に美しさを感じないし、単純に使いにくかった。そして電池の消耗も激しく、当時はネットを適度に利用していたら2~3時間であっという間に電池が無くなってしまったのを覚えている。しかも、ガラケーに比べて画面がでかく、分厚く、折りたためないので持ち運びも不便だった。

話題になっていた?アプリやゲーム的なものも試してみたが、なぜそれをわざわざしなくてはいけないか?と、思うほどのくそげーとクソアプリみたいなもののオンパレードで、スマホに変えたことを若干後悔したくらいだ。

最近ではスマホも随分使いやすくなったと感じるが、確かに過去の時代の能力では、ガラケーが評価されるのも無理はないと感じる。

ところが、この後、機器の爆発的な発展やLINE・ツイッターパズドラなどのキラーアプリ・コンテンツの流行とともに、スマホは日本国民全体に浸透していった。

最近では、元SMAPの3人が出演したアベマTVでは、1億近い視聴者数を稼ぎ出し、10年前には思い描くこともできなかった、テレビと携帯の逆転現象が起こっている。

かつては若者の文化の象徴であったフジテレビは、今では視聴率最下位近くの業績にあえぎ、とうとうめちゃいけ・みなさんのおかげですの終焉に加え、サザエさんの終了すら危ぶまれている。

テレビが過去から今日まで、「一方向のメディア」であればこの変遷も納得いくのだが、テレビも携帯も、機能的にはきっとさほど変わらないはずなのだ。

結局過去から進化してきたテクノロジーは、テクノロジーそのもので差がつく。と、いうよりは、そのテクノロジーをどう扱うのか?と、いう人間の心構えに、よるのだろう。

誰がテレビを殺したのか?

本当は、様々な可能性があったはずなのに、その可能性に目を背け、挑戦を忘れ、現状維持に走った業界そのものが、自分自身を殺したのだろう。

とはいえ、昭和というファンタジーの中で生まれ、平成というその残り火の輝きを見て「いつかはまた・・・」という気持ちで育ってきた世代としては、新しい文化に昔のような輝きやワクワク感を感じるかというと、そうではないので寂しい気持ちでいっぱいだ。

昔に比べて、テレビも、スマートホンも、本当に薄くなったと感心している。しかし、薄くなってしまったのは、機械本体だけじゃなく、作り手や受け手の気持ちすらも薄くなってしまったのかもしれない。

苦しみや悲しみが無い日常というのも悪くないが、熱が無い日常に寂しさを感じるのは私だけだろうか?人間の生き方は、スマートだけが正解ではないだろに・・・。