私の新人時代(11)

研究施設を新規に建設するプロジェクトが始まった。前例踏襲の仕事に慣れている公務員にとっては、前例の無い新しい仕事をすることは、経験が少ない分、かなり骨の折れる作業であった。今までのようなのんびりした日は、遠いかなたのようにどこかへ消え去ってしまっていた。

今までは散々公務員の悪い点だけを述べてきたが、公務員にも優秀な人は、当然存在する。むしろ、優秀な人は、とんでもなく驚くほど優秀な人である。やはりそれなりの巨大プロジェクトを回すので、きちんとした人がいなければ、現場は回らないのだ。数は少ないが、各部署に、必ず1~2人は、尊敬できる人がいたのを覚えている。

私が所属していた部署とは違うが、研究所内の花形部署の企画部企画課などのメンバーは、繁忙期は尋常じゃない忙しさだった。

所内の年間予算を組んだり、本省からの色々な指示を迅速に返答するために、最も多忙な時期であると、24時はおろか、朝の4時~5時まで残業をしているメンバーもいたくらいだ。予算が豊富についているので、残業代が、本給を超えるのもざらである。と、いう話を聞いたことがある。

みんなだいたい血走った眼をして、しかし激戦を潜り抜けた人間だけが持つ、オーラというか、風格を持っている人が多かった。端的に言うと、ヤクザっぽい人である。正直怖い。

一時期、公務員のタクシー帰りのタクシー代が問題になったが、それは正直許してほしいと思う。なぜ公務員の仕事がそれほど遅くなるかというと、国会で議論された内容を元に、そこから各省庁へ何々の数字を調べろ。根拠を出せ。と、いう指示が飛び、仕事が始まるのが、午後7時過ぎからということが多いことに起因する。

いわゆる「国会待機」ということで、どこになんの質問が飛ぶかわからないから、関係しそうな部署は、とりあえず待たされたりするのである。そして、そこで運悪く「あたり」を引いてしまった部署は、そこから翌日の国会答弁のために延々と資料を作成し、終了したころには、もう電車など存在しないのだ。

にも関わらず、その次の日も、定時に出社しなくてはいけないので、インターバル勤務は、むしろ公務員ほど導入をしてあげてほしいと思う。

今、思い返してみると、法人内に「床屋さん」があったことを思い出した。最初はなんでこんな所内に床屋があるんだよ。と、思ったが、あまりに激務すぎて、所内から出られない職員のために「公務中」に切れるように設置したらしい。

いやいや。クソ暇すぎる独法職員が、そんな必要があるのかよ?と、思うが、こういう施設こそ、使うべき人が使わないで、クソ暇すぎる働かないおじさんが使っているのだから、見た目的な「平等」からは、かけ離れた世界だな。と、思う。

これは、公務員に限らないが、日本独特の「働かないおじさん」を生み出したのは、いわゆる「終身雇用」の弊害だと思っている。

所内に仕事が存在する以上、仕事は誰かに依頼をしなくてはいけない。そんなとき、あなたが仕事の担当を決める責任者だったら、どんな人に仕事を依頼するだろうか?

答えは当然ながら「優秀な人に依頼する」である。

そりゃそうだろう。わざわざ仕事ができない人に、仕事を依頼するわけがないのである。

すると所内においてどういう仕組みが構築されるかというと、仕事ができる人には仕事が集中して、経験を積めるのでよりできるように成長し、仕事ができない人には、より仕事が集まらず、ますます仕事ができないようになってしまうのである。

給与の平等はあっても、機会の平等はないのである。そういう意味では、仕事ができない彼らも、日本という仕組みの被害者なのかもしれない。。。

人手が足りな過ぎて、忙しすぎる優秀な人をしり目に、いつもだらだらと1時間ほど残業をし、すぐに帰っていく仕事ができない人を見て、当時の私は非常に憤っていた。

真っ当な仕事をしない彼らにいったいどんな価値があるのだろうか?

しかし、今になって思い返すと、確かに彼らは、若手の私たちからするとクソだが、彼らの家族からすると、最高のお父さんなのではないか?とも思う。

ある程度決まった時間に帰宅をして、ある程度決まった給与と残業代を稼いでくる。

ブラック企業全盛の今の時代においては、うらやましすぎるほど、幸せな家族である。

あまりに時間があまって暇すぎるためか、それとも彼らの持つ将来の信頼度が高いせいか、公務員の人は、早期に結婚をし、子供を産んでいた上司が多かった気がする。

確かに仕事ができないことは悪いことかもしれないが、彼らは彼らで別の形で社会に貢献をしていたのかもしれない。

つくづく世の中のバランスを取ることは、難しいと感じるローズであった。。。