私の履歴書12(43)

「来年のクラス、今のクラスと同じ生徒いないけど大丈夫か?」 1学年の終わり間近に担任に呼び出されたローズは、担任からこう聞いた。大丈夫かというと大丈夫であるけれど、そりゃせっかく仲良くなれた今のクラスの生徒がいるなら、そっちの方がいいに決まっている。でも、だからといってわざわざ聞かれてしまえば大丈夫と答えざるを得ない。それがローズの人生だったような気もする。 のちに社会人になった後、転勤については会社も形式上は毎回転勤の可否を聞いてはくれたものだ。そこで転勤を拒否することもできれば、拒否できないパターンもあるのだが、私の個人的な印象では、世の中、自分のわがままを貫くかアピールし続けたほうが得だなー。と、しみじみ思う。 もちろん毎回通るわけではないが、会社も頑として人事の希望を出して来ればそれなりに考慮をせざるを得ない。しかしながら会社の中の皆が希望するポジションというのはたいがい席が足りないもので、結局は人の良い人が、そういう貧乏くじを引いているような気がする。会社もそういう人を考慮すればいいのだが、なんだかんだでフォローは手薄い。最終的に、その人がどうであろうと、「会社」と、いう存在が困ることはないからだ。 ともかく、学校側の思惑がどうだったのかは不明だが、1クラス40人の中で、前のクラスと誰一人として一緒にならない。と、いう不可思議なクラス編成は回避され、前のクラスの生徒は2~3人いたようなクラスに配属をされたのが中学校2年生だった。 あの中学校は荒れている。あの学年は荒れている。なんて表現がされることがあるが、私が通っていた中学校の学年は、いたって大人しい学年だった。そもそも学校自体が県内随一の土浦第一高等学校に毎年30人くらいは合格していたし、学力の高さは、やはり品格にも相応に比例したような気がする。 塾では同じ小学校に通っており、今は別の中学校に通っている友人に出会う機会があったが、そちらの中学校は荒れていることで有名だった。違う環境に移った友人たちを見るたびに、違う環境で寂しかった。と、思うとともに、新しい環境に進んだのも悪くはなかったな。なんて思ったりもした。 では、荒れてしまうクラスや学年と荒れないクラス、学年の違いはなんだろうか?ひとつは、先生の力量。と、いうのも大事だと思うが、もうひとつは、生徒側にどれだけプラスの影響力を与えられる人間がいるかというところに尽きると思う。 自分で言うのもなんだが、ローズはクラスにおいてわりと全体的にプラスの影響を与える生徒になっていた。読んでいた漫画の影響からか、誰もが仲良く、誰もが活躍できる組織が好きだった。学校の時間が終わり、プライベート(?)の時間になればさっさと家に帰ってしまうタイプだったが、学校での行事ごとやイベントの時間はかなり積極的に参加すタイプだった。 よくよく考えれば今とそんなに変わらないなー。と、思う。仲良くなるためのきっかけ?や「場」があれば頑張るが、まったく自由な環境から自分で人間関係を作るのは得意ではなかった。しかし、これは日本人全体にいえることかもしれない。 そんなこんなで学校という組織に守られた平穏無事な中学校2年生の生活が始まっていく。