私の履歴書7(38)

みなさんは、小さいときにはお小遣い制だっただろうか?それとも欲しいものがあるときに交渉するほうだっただろうか? 私自身は毎月のお小遣い制度だったので、欲しいものがあるたびに交渉している。と、いう話を聞いたときは、結構驚いていた。自分の自由に使えるお金がなければ親の言いなりではないかと。お金の奴隷解放宣言ではないが、自由を得るためにはお金は重要なファクターだ。 お小遣い制度は、教育の一環として考えていたのか父親が3年生になったことをきっかけに導入をした。小学校3年生のスタート時には、毎月1000円。通知表をもらうたびに、算数などの教科科目の成績が「3」であれば、+50円みたいな感じだったと思う。小学生の時にはほとんどオール3だったので、毎年600円くらいはお小遣いがあがり小学校を卒業するくらいの時には、毎月3000円くらいはもらっていたはずだ。 当時の私が何にお小遣いを使っていたかというと、毎週月曜日のジャンプ+お菓子代がほとんどだった。当時のジャンプは180円くらいで、小学4年生くらいの時には、そこにうまい棒などを足して200円くらいになるように買い物をしていた覚えがある。6年生くらいになるころには、お金に余裕があったので、リプトンの500mlのミルクティーと、パンを買って合わせて500円くらい毎週買い物をしていた。小さな額ではあるが、自分で考えて買い物をする。と、いう機会を与えてくれたのは、なかなか貴重な経験だったと感じている。 お年玉も親が搾取?することなく、全額私の郵便局の口座に振り込んでれた。普段の買い物は、コンビニでの小さい額ではあったが、小学4年生の時には、初めて自分で大きな額の買い物をしたことを覚えている。野球ゲームといえばファミスタ全盛の時代に、コナミ様が新しく発売した、実況パワフルプロ野球。と、いうゲームだ。 ゲームは新しいもの好き?の父親の影響で、幼いころから、ファミコンスーパーファミコンとステップを踏むことができていた。社会現象となったドラゴンクエストはもちろん、ファイナルファンタジーも会社の友人から借りてきてくれて、多少時差はあったものの、きちんとそれなりにクリアをしていた。 しかし、自分でファミコンのソフトを購入したことはさすがになかった。今はだいぶソフトの値段も下がったが、当時のスーパーファミコンは、1万円近くすることも多く、年収4万円に満たない小学4年生くらいの私には、1年を賭けるくらいの意気込みの投資だった。 何度も何度もお店に行ってはファミコンのソフトの外側を見つめ、週間ファミ通の宣伝ページを見ては、評価を気にし、郵便局で1万円を引き下ろしてからお店に行くまでの道のりで何度帰ろうと思ったか。 冷静に考えれば、もっと友達に相談をしたり、親に相談をしたりすればよかったと思うのだが、「思い立ったらやりたくて仕方ない」ローズは、ある日思い切って実況パワフルプロ野球を購入した。 結果は・・・めちゃくちゃ面白かった。 その後コナミの稼ぎタイトルとなり、今でも続編が発売されているキラータイトルとなっている。 正直大手のコナミの作品であるし、ゲーム誌の評価も良い作品であったが、自分で考えて自分で選んだものが面白かった。と、いう良い経験になった。 ちなみにパワプロでは、通常の野球パートだけじゃなく、選手を育成できる「サクセスモード」というパートが人気で秀逸なのだが、お金の使い方を学んだローズは、その後何千時間にもわたって色々な選手を育成していくのだが、自分の人生がサクセスすることは一切なかった。そしてせっかく学んだお金の使い方も、結局女の子に貢ぐだけだった。。。